10月30日 ゲスト:仲代達矢さん
◆テーマ:『仲代達矢77歳(喜寿)――今 “赤秋”を真っ赤に生きる!』◆
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「ぜひ、このかたの ご登場を!」と強く願う番組サイドと、
「団塊倶楽部」は出演するにふさわしい番組と ご判断くださった
“側近”マネージャー氏の思惑が合致して ついに実現!
ゲストは、現在77歳(12月13日で78歳)
黒澤 明監督、小林正樹監作品の常連で、
多くの巨匠とともに
日本映画界の黄金期を築いた
俳優の仲代達矢さん!
好きな映画には常に『天国と地獄』を挙げる
弘兼憲史さんも大興奮!
仲代達矢さんが語った“黒澤 明監督”“役所広司さん”…
独特の間・・・、時に身振りを交えての仲代達矢さんの言葉一つ一つ、
一挙一動を見逃すまいと、出演者・スタッフ一同の目はくぎ付けに――。
そして、生放送で名優が頭を抱えた瞬間…スタジオで何が起こった!?
■“叩きつける”作品づくりに共通点――黒澤明監督とゴッホ
“黒澤映画”の常連・仲代達矢さんが語る黒澤 明監督。
三船敏郎さんとの名コンビが有名な黒澤 明監督が
「三船だけが強くちゃ面白くない。対抗する感じを出してくれ」と
仲代達矢さんに期待を寄せた作品が
“衣装合わせに1カ月かけた”という『用心棒』(1961年)。
着流しにマフラー、拳銃を手にする卯之助を演じるのが仲代達矢さん。
仲代達矢の「首」が長く、鎧が似合わないと指摘する黒澤監督は、
卯之助(仲代さん)の首にマフラーを巻かせました。
仲代 「黒澤映画は“絵”に対する想いが凄いですよね」
弘兼 「『乱』とか『影武者』の絵コンテを
見させていただいたことがあるんですが
錦絵のように極彩色でびっしり書かれてますよね」
画家志望でもあった黒澤 明監督の“色彩感”とデッサンに、
現在、舞台『炎の人』で演じているゴッホとの共通点を見出す仲代達矢さん。
仲代 「ゴッホも不器用で“叩きつけるように”絵を描いたそうです。
かつての黒澤さんを見ていると“叩きつけるように”
映画をお作りになっていた――という意味では
ゴッホと共通点があるな、と勝手に思っているんです。
“日常的リアリズムを超えた何か”を作っていた感じがするんです」
『用心棒』『椿三十郎』こそ“本当の意味での時代劇”として作られた作品――
と語る仲代さんは、黒澤 明監督について このほか、
“斬られた人の血が噴き出す様を研究”していたエピソードを紹介。
弘兼 「黒澤さんは人を斬る時の“音”を入れたかたですよね」
■役所広司さんも卒業生!仲代達矢さんが主宰する『無名塾』
「魅力的な役者を観るのが好きだから 自分は役者をやっている。
そんな俳優が自分の元から出たらいいな」
1975年、仲代達矢さんが
奥様・宮崎
35年間で送りだした卒業生は150人。
その中のお一人、ひと目見た瞬間“光っている”と感じたという
役所広司さんの入塾の際のエピソードを伺うと…
どれだけ大きな声が出るか――というテストで
役所さんは“貧血”を起こすほどの熱演を見せたそうです。
仲代 「これだけ一生懸命ぶつかってくるのはすごい」
また、芸名『役所広司』の名付け親も仲代達矢さん。
当初は、“食えない時代”にお世話になった八百屋さんの屋号『
『八百作広司』を提案したそうですが・・・
役所さんは「ちょっと泥臭いのでは・・・」と やんわり拒否。
そこで、役所広司さんが“千代田区役所に勤務していた”ことから
芸名『役所広司』に決定。
“役どころ広し”という意味が込められているそうです。
放送では、役所広司さんが師匠・仲代達矢さんについて語った
インタビューをお聴きいただきました。
役所 「いつも考えるんです。
自分の年の時に仲代さんがどういう作品をやっていらっしゃって、
今は70後半・・・。
仲代さんが“役者”を追い求めて演じ続けて、
どんどん、年と共に“気”“魂”が入ってくる姿を画面で見ていて、
本当にいい手本だと思ってますね」
◆無名塾 塾生募集◆
プロの俳優養成を目的とする無名塾は、塾生を募集しています。
・2011年3月下旬 オーディション開催予定
・入塾費用、授業料、施設教材費 無料
・プロ・アマ不問 / 初心者歓迎
・年齢制限:18歳~30才くらいまで
・書類審査は一切なし
・資料請求期間:11月25日~2月13日
詳しくは無名塾 official siteをご覧ください。
(「育てたい」と思う人は?)
仲代 「『この子が技を身に付けたら面白い俳優になるな』という個性・・・
ということなんですけど、
人間を演ずるわけですから、素朴さ、素直さ、人間を見つめる性格・・・
努力できるのも才能のひとつですから、
人が人を選ぶっていうのは・・・(難しい)」
■若者に救われ・・・
舞台『森は生きている』で初共演した俳優座養成所の2年先輩
宮崎恭子さんと大恋愛の末に結婚――。
39年の結婚生活を共に送った恭子夫人に1996年に先立たれ
大きな喪失感に包まれた仲代達矢さんが立ち直るきっかけとなったのが、
恭子夫人と作り上げた『無名塾』であり、その若き塾生。
無名塾の母・恭子夫人の遺言には
「現役の役者をやりながら『無名塾』もやってほしい」と記されていたそうです。
仲代 「“老優”が朝、上で寝ていますと、下には塾生がいっぱいいて・・・
“無名塾は やっていたほうがいいんじゃないか”というのは
彼女が遺言に書いた理由でもあったろうし、
それでずいぶん救われました。
特に女房が亡くなってからは、僕の周りにいる若者に すごい感謝しているんです」
■歓迎されないサプライズ?!
「だいたい、この番組に出る時、そういう話はなかった・・・」
1958年、26歳の時の楽曲『銀座ロックン』をおかけすると頭を抱え・・・
曲が完奏した際には深呼吸で息を整え、必死に落ち着くを取り戻す仲代達矢さん。
持ち前の声のよさから「歌手」の道を勧められたこともあったそうですが、
当時の男性歌手が紫の背広にスパンコールを付けている様子を見て、
「とてもあれはできない」と
歌手ではなく、新劇の道へ進んだエピソードを ご紹介くださいました。
石川 「『銀座ロックン』をおかけしましたら、
仲代達矢さんが頭を抱えていらっしゃいました」
弘兼 「向こうを向いちゃいました。 よっぽどつらかったんでしょう(笑)」
仲代 「つらいですよ」
放送前、弘兼さんから“名刺代わり”にプレゼントされた『黄昏流星群』を読み込む仲代さん
■仲代達矢さんの最新情報は 無名塾 official siteをご覧ください。
■お送りした曲目
◆「ウィリアム・テル」序曲
(弘兼セレクション)
◆燃える秋 / ハイ・ファイ・セット
(弘兼セレクション)
◆銀座ロックン / 仲代達矢
◆函館の女 / 北島三郎
(仲代達矢さんのリクエスト)
◆赤い絆 <レッド・センセーション> / 山口百恵
(RN・でんちゅうさんが初めて買ったレコード)
◆枯葉 / イブ・モンタン
(仲代達矢さんのリクエスト)
写真も大量掲載!仲代達矢さんの名言・好きな言葉はこちらをご覧ください。