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放送レポート

10月23日 追悼特集 稀代の名優・森繁久彌!

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テーマ『昭和の喜劇人シリーズ第3弾!
         昭和最後の喜劇俳優にして 稀代の名優・森繁久彌!!』

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「涙しました」――。
放送中~放送終了後にかけて反響続々!
 
昨年11月10日に亡くなられ、間もなく一周忌を迎える
“昭和最後の喜劇俳優”稀代の名優・森繁久彌さんを追悼特集。
 
 ゲストには、森繁久彌さんの御子息、
 次男の森繁 [たつる]さん、
 森繁作品の熱烈ファン・漫画家の黒鉄ヒロシさんを
 お招きして、秘蔵エピソードの数々、
 『しれとこ旅情』誕生秘話・・・など
 名物ラジオ番組の貴重な音源を織り交ぜながら
 昭和の名優・森繁久彌さんの
 足跡を振り返りました。

そして、弘兼憲史さんとはゴルフやお酒の席での お仲間で、
お互いに名前が似ていることで間違われることが多いという
漫画界の先輩・黒鉄ヒロシさん ご登場により、
クロガネ×ヒロカネの共演が実現!
 

 
  弘兼 「お顔がそっくりで(お会いした時)腰抜かしそうになりました」
  石川 「あごヒゲのあたりとか全体的なお顔が似ていらっしゃいます!」
 
  森繁久彌さんの御子息・次男の森繁 [たつる]さんには、
  森繁久彌さんの素顔や父親像についてご紹介いただきました。
 
弘兼さんの人生にも影響を与えた森繁作品・・・弘兼さんが目指した道とは・・・!?



森繁久彌名語録――“大根役者”論
 
文化放送で昭和53~54年に放送された『友よ森繁だ』の中で
役者の魅力――中でも大根役者の魅力について語っている音声をお聴きいただきました。
 
「主役を引き立てて、
 しかも主役の味を邪魔せず、身を変えて花を添える――。
 大根は『刺し身』という主役を引き立てるために、
 身は“ツマ”として細く削るし、
 ブリの照り焼きには“おろし”となり、
 また“たくわん”となってお茶漬けを引き立てる――。

 
   そういう大根の意地らしさが
   『大根役者』という言葉に込められているわけだ。
   近頃、そういう意味での大根役者が少なくなったような気がするんだよね」

 

  
引き続き、詩『役者』の朗読をお聴きいただくと、
黒鉄ヒロシさんは、
完璧なセリフ回しの中に織り込まれた“ゆらぎ”を指摘。
 
黒鉄 「“ブレスの位置”がちょっとずれてる。
     森繁さんなら、もっとうまく喋れるはずなのに、
     時々、わざと“前につんのめって”みせたり――。
     あれで『ハッ』として、また引き込まれる・・・
     この話術・・・うまければいいってもんじゃない。
     “究極のダンディズム”ですよね」

 
弘兼 「“不思議さ”みたいな魅力があって
     『森繁さんについて行きたいな』と思いますね」



今年44周年!――今なお活動中『森繁詩の会』
 
文化放送で1964(昭和39)年から1967(昭和42)年まで放送された
『今晩は森繁久彌です』は、
森繁久彌さんがリスナーのお便りを紹介したり、語りかける内容で人気を博した番組。
 
  また、沢山のお便りと一緒に寄せられた「詩」の朗読も欠かせない要素。
 
  「詩」を通じて、森繁久彌さんを中心に、ファンの皆さんの間に
  ひとつの輪が生まれ、そして『今晩は森繁久彌です』を母体として誕生したのが
  『森繁詩の会』
  今年で44周年を迎え、今なお、会は継続し、
  年2回詩誌(会報)『しくしくからから』を発行し続けています。
 

 
この日の放送の中では『今晩は森繁久彌です』の中で
森繁さんが詩を紹介する様子をお聴きいただきました。
 
  『しくしくからから』は今年8月、創刊155号を数え
  “森繁久彌会長追悼号”として発刊され、
  森繁 建さんも編纂に携われています。
 
森繁 建 「(森繁詩の会)幹事の方にお目にかかって、
      『追悼号を出したいので、ご協力をいただけませんか』というので、
      ありがたいんで『ぜひ』・・・と。
      本当にありがたいですね」



『しれとこ旅情』誕生秘話 
 
動物作家・戸川幸夫さんの小説『オホーツク老人』を映画化した
『地の涯てに生きるもの』の撮影で北海道知床に滞在した
森繁久彌さんが、撮影期間中に作詞・作曲を手掛けた楽曲――『さらば羅臼よ』
 
「皆さんとの思い出を残しておきたい。
 簡単な歌ですから覚えてください」
(森繁久彌)

 
  帰京当日、4~5百人の村民の前で、撮影スタッフとともに合唱――。
 
弘兼 「無茶苦茶カッコいいじゃないですか」
黒鉄 「“映画”になりますね」
 
後日、撮影隊の拠点となった「羅臼」のほか
「斜里」「ウトロ」地区でも撮影が行われていることから、
『しれとこ旅情』に改題されました。
 
  帰京前夜、森繁久彌さんが羅臼村(当時)の村長宅の障子紙に書いた
  この歌の歌詞は“軸”にして現在も保管されています。


『今晩は森繁久彌です』で“父親”に

ラジオを愛した父・森繁久彌さん――。
番組に取り組む姿勢について、
森繁 建さんは次のように感じているそうです。
 
  森繁 建 「父はお父さんを2歳で亡くし“父親”を知らない。
        若く多感な頃に、相談したい父親がいなかった――。
        だから(ラジオで)自分が
        『自分だったら(父親が)こうしてくれたらうれしいだろうな』
        という気持ちに入り込んで、一生懸命やったんじゃないかな、
        という気がしてしょうがないですね。
        自分の理想の父親が、自分の中にあるんじゃないですかね」

 
また『今晩は森繁久彌です』の人気を一気に高めた背景には、
桂子さんの存在が欠かせないでしょう。
 
森繁久彌さんは
番組に手紙を送った、当時無国籍だった桂子さんを“養女”に迎え、
なにかと面倒を見続け、アメリカ男性との結婚まで励まし続けました。
 
  『しくしくからから』追悼号には
  桂子さん(現姓・ケイコ クラーク)も感謝の言葉を寄せています。
 
 森繁 建
  「ケイコは私たちにとっても本当に兄妹で、
  母が亡くなった時にも来ましたし、
  父が亡くなる前も一週間くらいいて、毎日病院に行ってくれて、亡くなった後も葬儀に来て、親族の中に一緒に入れて、あいさつさせたりとか、本当に兄妹みたいにしています」

 
黒鉄 「器が大きい。できないよね。
     “美談”とか、そういう簡単な問題じゃなくて」



ラジオの魅力
 
番組では、森繁久彌さんが
『友よ森繁だ』台本の巻末に残したメモを、弘兼憲史さんの朗読でご紹介しました。
 
◆ ◆ ◆
 テレビテレビと言うけれど、テレビは見えるから半分は聴いていないよね。
 全部聴いくれるのはラジオだ。
 40年以上ラジオをやって来たけど、ラジオはいまだ飽きが来ない…
 顔が見えない為か気持ちが直線で入って行く様な気がする。
 ラジオは私のハートからあなたのハートへ
                             ◆ ◆ ◆

 
このエピソードは森繁久彌さんの
次男・森繁 建さんと、長女・和久昭子さんの対談共著
『人生はピンとキリだけ知ればいい』(新潮社/1,365円)に詳しく掲載されています。


ご案内
  
◆展覧会『森繁久彌展-人生はピンとキリだけ知ればいい-』のお知らせ
 
 会場:早稲田大学 演劇博物館
 日程:開催中~11月14日まで
 
◆文化放送アーカイブス『語り芸』(CD3枚組)発売のお知らせ
 
文化放送名物番組
『今晩は森繁久彌です』『友よ森繁だ』ほかの音源を初めてCDになりました。
 
  ――森繁久彌が 人生を語る。朗読する。唄う。激励する。熱演する。――
 
 発売日:11月3日
  価 格 :5,000円
 
 ご注文・お問い合わせ電話番号:文化放送ラジオショッピング 03 - 3431 - 9101
 (月~金曜日/9:30~19:00 土曜日/9:30~17:30)


お送りした曲目
 
人生はいいものさ / 森繁久彌
 
銀座の雀 / 森繁久彌
 
サンライズ・サンセット
 (ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』ライブ盤より)
しれとこ旅情 / 森繁久彌
 
船頭小唄 / 森繁久彌
 (『今晩は森繁久彌です』より)
悪友の唄 / 森繁久彌
 (『友よ森繁だ』より)
フラメンコかっぽれ / 森繁久彌


黒鉄ヒロシさん、森繁 建さんの名言はこちらをご覧ください。

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