ドコモ団塊倶楽部

放送レポート

9月5日 ゲスト:湯川れい子さん

過去の放送レポート(09年4月~)バックナンバー

テーマ:『あの頃、団塊の世代が貪り読んだ
         海外大物アーチストのインタビューは
           み~んな湯川れい子さんだった!』  

 ゲストには、
 弘兼憲史さんが学生時代に憧れていた
 湯川れい子さんをお招きして
 “音楽評論家”としての活動の中から
 マイケル・ジャクソン、エルヴィス・プレスリー、
 ザ・ビートルズにまつわるエピソードを
 時間の許す限り、たっぷりと伺いました。

スタジオ中が強い感銘を受けた湯川れい子さんの“生涯の宝物”とは・・・?
 
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アメリカの黒人史を背負い 世界を熱狂させたマイケル

今年6月、死去のニュースが世界を駆け巡った…マイケル・ジャクソン

ジャクソン5のメジャーデビューは
黒人公民権運動家マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された翌年。

湯川れい子さんは、その後のマイケルのグループからの独立や
世界を目指した活躍などに、今のオバマ大統領にまで続く
広大なアメリカの黒人史が重ねて見える――と指摘します。

そして、フレッド・アステアをリスペクトするマイケルが
黒人特有の体の動きと音楽を融合し
やがて『ビリー・ジーン』『ビート・イット』『スリラー』が誕生。

湯川 「フレッド・アステア、チャーリー・チャップリン、
     ジェームス・ブラウン・・・と考えると
     マイケルのルーツがわかると思います」

    「彼は最後まで
     『自分のダンスは僕が作ったんじゃない。
      黒人のストリートダンスからきているんだ』
     って言っているんです」

石川 「ミュージックビデオというものを あれだけ魅せてくれたのも
     マイケル・ジャクソンさんが初めてなのかなと思いますね」

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エルヴィスの登場が世界を変えた!

ジョン・レノンをして「彼がいなかったらビートルズもいなかった」
というほど、世界に大きな影響を与えたエルヴィス・プレスリー

エルヴィスは、その登場と時を同じくして世に広まった
“新しいメディア”「テレビ」と共にスターの道を駆け上がりました。

 湯川
 「エルヴィスが出てきたのは
  テレビが初めて出来た時で、
  あのルックス、あの若さ、
  あのかわいらしさ、あの純粋さで歌ったから
  ロックンロールは爆発したと思います」


子供の頃の体験から体に染みつき、終生リスペクトした黒人音楽・・・
とくに教会音楽がバックボーンとなって“あのロックンロール”が誕生。

湯川 「私から見ると、本当に黒人と白人の壁を
    最初に超えたのはエルヴィスなんです」

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甘く“やわらかい”生涯の宝物

“みかんの房の皮を剥いたようなやわらかさ”
湯川れい子さんがこのように例えたのは、エルヴィスのくちびる

  15年もの長きにわたって、
  エルヴィスの活躍を日本で伝えていた湯川れい子さんは、
  初めて会う機会を得ると“ご褒美のチュー”をリクエスト。

 “ホッペにチュー”だと思っていたら
  思いがけず
 くちびると くちびるがふれあって・・・
 
 湯川
 「ご挨拶のチューのような
  ふわっとしたチューをしてもらったんです。
  3回会って、2回 してもらってます」


また、湯川さんは、ラスベガスでご結婚され、
エルヴィスに結婚の証人を務めてもらったのだそうですが、そこでも・・・

湯川 「『何が欲しい?』と聞かれて
     『チューが欲しい』と、結婚した相手の目の前で、
     ちゃんと唇にキスをしてもらいました」

    「バカバカしいと言われるかもしれないけど
     私にとっては“生涯の宝物”ですね」

弘兼 「その記憶は絶対消えないですね」
石川 「忘れられないですよねぇ」

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いまだに“新しい”ビートルズ!

自由で 明るくて 楽しい ビートルズ ワールド
“ドラムとビートと一緒にユサユサ揺れるリンゴ・スターの髪”
湯川れい子さんの心は震え・・・

湯川 「『みんな、カモン カモン!おいでよ!
     一緒に楽しもうよ!』というような世界でしたね」

 
また、湯川れい子さんが「本当に驚いた」と振り返ったのが
『エレナー・リグビー』

湯川 「“この寂しい老人たちはいったいどこから来たの?”
     “夜中に靴下を繕う神父さん”
     こういうものがヒット曲のテーマになるんだ!って」

 
    「そういう意味で、文化的、文革的、哲学的・・・
    いろいろな側面をもった楽曲を書いてくれた。
    いまだに発見がありますね」

弘兼 「“違う世界”にいって…
     プログレッシブというか、本当に僕らは
     “あの新しさにやられる”って感じでずっと聴いていました」

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団塊ホームルーム

昭和レトロアイテムは『ビートルズ 武道館公演のチケット』

日本中が熱狂した1966年のザ・ビートルズ日本公演
そのチケットは、一般窓口での販売は行われず、
主催者、協賛各社に申し込む抽選形式となりました。

  当時、高校1年生だった町田忍さんは見事抽選を突破し
  武道館公演(初日)のプラチナチケットを入手!

料金は2100円でした。(※ほかの席種は1800円と1500円)

町田 「今の1万円・・・プレミアムがついて今の5万円6万円です」

湯川 「(演奏時間は)たった35分でしたけど、それでも満足しましたよね」

弘兼 「僕は大学に入った年で、
     千駄ヶ谷の そば屋さんでテレビ中継を見ました」

●主な話題

 ・初めてロックコンサートを開催した日本武道館は音響が悪かった。
 ・女性客の「キャーー!!」という歓声がすさまじかった!
 ・通路を埋めつくすように配備された警察官。
  立ち上がって歓声を上げる観客に・・・「座って聴け!」
 ・ビートルズに会いたい!と宿舎の近くにやってきた子供たちが
  毎日600人ほど補導された。
 ・当時、エレキやロックを聴くことは“不良”と言われた・・・。


この時、ビートルズのメンバーに話を聞いている湯川れい子さんは、
4枚の写真を撮影。うち3枚はメンバーの写真で、残る1枚は・・・
「その頃、かわいかった!」というリンゴ・スターと一緒に写るショット。
ポール・マッカートニーがシャッターを押した(!)という意味でも
たいへん貴重で、豪華で、贅沢な1枚です。


湯川 「ビートルズがデビューした1964年は東京オリンピックの年、
     (海外からリアルタイムで)日本に入ってきたのは
     ビートルズからなんです。
     いわば、日本でのロックンロール革命だったと思う」

※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。

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お送りした曲目

When I'm 64 / ザ・ビートルズ
  (弘兼セレクション)
ベンのテーマ / マイケル・ジャクソン
  (湯川れい子セレクション)
ラバーネッキン(REMIX ver.) / エルヴィス・プレスリー
  (湯川れい子セレクション)
黒い炎 / チェイス
  (弘兼セレクション)
好きにならずにいられない / エルヴィス・プレスリー
  (リスナーの皆さんからのリクエスト)
ビコーズ / ザ・ビートルズ
  (湯川れい子セレクション)

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湯川れい子さんの名言・好きな言葉はこちらをご覧ください。

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