8月22日 ゲスト:風間杜夫さん
■テーマ:『つかこうへい劇団から映画、ひとり芝居に落語まで
俳優・風間杜夫の進化はもう誰にも止められない!』
ゲストは1949年生まれの団塊の世代、俳優・風間杜夫さん。
「とても60歳には見えません」と
出演者・スタッフが声をそろえた
風間杜夫さんをお招きして
子役時代の秘話から、
役者を目指すキッカケ、
“天才”つかこうへいさんとの出会い、
大竹まことさんとの
不思議な同居生活…、
そして、ひとり芝居に 落語まで・・・
時間の許す限り、たっぷりとお話しを伺いました。
風間さんが語った つかこうへいさん特有の“口立て”とは・・・?
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■少年雑誌『冒険王』の表紙に3年間登場
風間杜夫さんが子役時代…小学5年生から3年間、
表紙を務めていた年雑誌『冒険王』や
『たのしい六年生』『家の光』などの表紙を集めた
“表紙集”をお持ちいただきました。
少年時代は成長がはやく、顔つきが変化するため
長期間、同じ子役が表紙に起用されることは異例なのだそうです。
風間 「僕の場合、幼顔がちっとも変わらないんで、
異例の3年ということに」
弘兼 「『冒険王』は見てましたけど
表紙が風間さんとは、きょう初めて知りました」
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■風間杜夫さんが役者を目指したキッカケ
幼稚園の頃、普段はおとなしいのに
お遊戯会の舞台でハツラツとした姿を見せたことから
“舞台度胸の良さ”を見出されて児童劇団へ。
すでにこの頃から
“大人になっても役者になりたい”と思っていたのだそうです。
また「勉強は苦手だった」としながらも早稲田大学に進学したワケは
早稲田大学の伝統的な演劇サークル「自由舞台」に入るため。
そして、大竹まことさんとの同居生活や、
つかこうへいさんとの出会いなどがあり
今に続く役者人生を歩まれるのです。
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■大竹まことさんとの同居生活
文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ!』
(月~金曜日 午後1時から生放送)の中で
時々、風間杜夫さんのお名前が聞かれることがあるように、
実はとっても縁が深い、風間杜夫さんと大竹まことさん。
実は、斉木しげるさんを含めた三人は
かつて、8畳のアパートで同居生活を送っていました。
十数人のメンバーで劇団を結成していた頃、
東京・祐天寺に“劇団の集会所”としてアパートを借り、
そこに“管理人”として住み込むことになって
三人の同居生活がスタート。
風間杜夫さんが明かす、それぞれの入居の理由は・・・
◆斉木しげるさんの場合・・・
それまで住んでいたアパートは家賃を滞納していたため
劇団でアパートを借りたことは“渡りに舟”だった。
◆大竹まことさんの場合・・・
当時、同じ祐天寺にアパートを借りて住んでいたが
“さみしがり屋”のため、同居。
◆風間杜夫さんの場合・・・
東京・世田谷に自宅があったが
「いつか家を出たい」と考えていて、同居。
“小劇場ブーム”で役者を目指す人が多かった時代。
風間さんたちは、『いい大学を出て、いい会社に入る』という
世の中の流れの中、“ドロップアウトするつもり”で
演劇の世界に飛び込んだのだそうです。
風間「態勢から取り残されることも“心地よく”思っていて
粋がってました」
石川 「お三方がそれぞれ今も
ご活躍されているのを見ると、すごい同居生活でしたね」
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■天才・つかこうへいさんとの出会い
風間 「“銀ちゃん”は つかさんなんです。
僕たち劇団員は みんな“ヤス”ですね」
つかこうへいさんとの出会いについて
「大変な天才と出会った」と語る風間さん。
「つかさん、かっこいい!!」「つかさんのためなら!」
という想いで芝居をしていたそうです。
その、つかこうへいさんとの出会いは・・・
慶応大学に籍を置く つかこうへいさんが
(どういうわけか)早稲田大学のサークルを吸収。
その後、メンバー数人と「つかこうへい事務所」を設立。
やがて、つかさんの芝居への出演を依頼されて・・・
風間 「面白かったんですよ!つかさんの作品が。
その稽古場に つかさんが現れて
『おまえ、オレのとこに来い』と言われたんです」
つかこうへいさんといえば、独特の指導法“口立て”が有名ですが
風間杜夫さんも、これには大いに戸惑ったそうです。
◇◇食事中のシーン◇◇
つか 「風間、『カチっ!』と言ってみろ」
風間 「・・・カチっ!(??)」
つか 「『こんなところに石が!
おまえ、朝の食卓に石が入っているとは なんだ!』」
(と、妻を責め立てる夫)
つか 「風間、わかるか?これが“不条理演劇”だ」
◇◇手違いで赤紙が届かず、戦争に行けなかった父。
やがて戦後40年たって赤紙が届き、戦場へ向かう・・・。
そこには戦争の痕が色濃く残り、あたりには屍が・・・◇◇
つか 「『これは何だ?!これは何だ!!
これが平和の礎というのか?!
日本にデモクラシーを根付かせるというが、これは何だ?!』
風間、“これは何だ”と言いながら、
“カンパーピン”ひいてこい!」
風間 「『指先でカンパーピンをツモってこい』って言うんです。
“これは何だ?!”で、
カンパーピンをいれて『リーチ!』
・・・で、また『続けろ』と・・・」
弘兼 「本当に“不条理”ですね!」
つかさんの真意は、戦争の悲惨さを訴えるのではなく
「その場面の“役者の快感”を伝えたい」ということなのだそうです。
風間 「そういう訓練ばっかりさせられてましたね」
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■『スチュワーデス物語』の教官
石川「いろいろな役柄を演じていまして
本来“二枚目”と思っていたら
笑わせてくれるところもあったりして
“本当の風間杜夫さんはどういう方なんだろう”
と思ってます」
弘兼 「教官の役は違うと思います(笑)」
風間 「あれは別の意味で笑かしてくれましたけど、
『これは楽しまなきゃ損だ』と思いまして
のめりこみました」
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■ひとり芝居、そして落語
●ひとり芝居
「じゃあ、やりましょう!」と
お酒の勢いで引き受けてしまった ひとり芝居。
2003年には「ひとり芝居三部作」で文化庁芸術祭賞大賞、
読売演劇大賞最優秀男優賞を受賞されました。
当初は決して前向きではなかったそうですが
いざ、やってみると・・・
風間 「意外に難しいことがわかって
これで終わっちゃうのが悔しいんです。
このまま終わるのがいやで
『来年もやろう、来年もやろう』で12年…」
●落語
子供の頃から落語に親しみ、
落語家に扮した舞台『すててこてこてこ』の劇中で
古典落語を披露した際には
指導を担当した林家正雀さんに素質を認められ、
「いつかお客さんの前で・・・」と思うようになった風間さん。
すると、立川談春さんの独演会に招かれるようになり
やがて自ら落語会、独演会を開くようにも。
風間 「名人・文楽師匠の『夢の酒』をやりまして
三人の女性を演じ分けることが楽しみになりました」
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■団塊ホームルーム
昭和レトロアイテムは『万年筆』。
町田 「中学に入った頃に
プレゼントされるんですよね」
◆弘兼憲史の万年筆の思い出
・胸ポケットにさしていた。
・インクをたっぷり入れて・・・飛ばす。
(白いシャツは汚れが落ちない)
・セーラー、パイロット、プラチナが人気を争っていた。
・お父さんから初めてもらったのは『パーカー61』。
(この日、スタジオに持参)
弘兼 「あの頃、クラスで自慢だったんです。
きょうは歯磨き粉で磨いてきました。」
◆町田忍の万年筆の思い出
・勉強の時には使わなかった。
・お気に入りは、昔ながらのインクビンから吸入するタイプ。
スタジオの男性陣が「やりました」と声をそろえたのが
“万年筆のキャップ回し”。
団塊ジュニアの石川真紀ぴょんは初めて耳にして・・・
「なんですか、それ?それして、なんになるんですか?」
◆風間杜夫さんの思い出
・テレビ番組『世界ウルルン滞在記』でナポリへ行き
番組の企画で万年筆をデザイン。
・放送日の3月28日にちなんで328本を限定販売(完売)
・出演料のほかにデザイン料ももらうことができた。
※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。
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■お送りした曲目
◇二人の銀座 / 和泉雅子、山内賢(弘兼セレクション)
◇アイル・ビー・ホーム / パット・ブーン(風間杜夫さんのリクエスト)
◇蒲田行進曲 / 松坂慶子、風間杜夫、平田満(弘兼セレクション)
◇好きさ好きさ好きさ / ザ・カーナビーツ(風間杜夫さんのリクエスト)