ドコモ団塊倶楽部

放送レポート

7月4日 ゲスト:藤子不二雄Aさん

テーマ:『手塚先生に憧れ、藤子・F・不二雄さんと二人三脚!
  そして今、一人で歩む まんが道55年に侮いなし!!

  ~ 手塚治生誕80年企画 ~ 』

 
この日のゲストは、
弘兼さんが25才の時、1974年にビッグコミックに応募した
初めての“ストーリー漫画”でデビュー作でもある
「風薫る」の審査を担当されたという縁のある
藤子不二雄A(安孫子素雄)さん。
 
普段から親しく、お酒が進むと「アビちゃん」と呼んでいるとか。
(安孫子さんは「弘兼氏」と呼んでいます)
 
 今回の放送は、共に尊敬する
 手塚治虫さんが去年11月に
 生誕80周年を迎えられたことから
 『手塚治虫生誕80年企画』として
 手塚さんの足跡を振り返るとともに
 藤子不二雄Aさんの
 55年に及ぶ漫画家人生に迫りました。

 
弘兼さんが持っているのは「団塊リポート」でご紹介した栃尾てまり
 
レポート後半では「ドコモ団塊倶楽部」だからこそ実現した
漫画界の巨匠による夢の合作色紙を大公開しています!
 
※藤子不二雄Aさんの「A」の正しい表記は ○にA です



手塚治虫にあこがれて・・・
 
弘兼 「“下から”“上から”“アップ”と・・・
    カメラアングルのような描写が画期的だった」

 
安孫子 「人の死、破壊されるロボット、世界の壊滅・・・
    それまで漫画になかった“悲劇”を描いたんです。
    戦後間もない頃、未来の話に感激しました」

 
ともに手塚治虫さんに憧れて漫画の世界に進んだ
藤子不二雄Aさんと弘兼憲史さん。
とても一度や二度の放送で語りつくすことはできませんが
時間の許す限り、思い出やエピソードをご紹介いただきました。
 
  窓に石?!漫画家と編集者は血だらけの戦い
 
  同時に多くの連載を抱えていた手塚治虫さんの元には
  何人もの編集者が原稿の催促にやってきます。
 
  ある時、ひとりの編集者が外の公衆電話に向かうと
  そのすきに、手塚さんをアパートの裏に待たせたタクシーに乗せ
  旅館に“缶詰め”状態に。
 
  すると“脱走”に気がついた編集者は旅館を探り出して
  「先生!そこにいるのはわかってるんですよ!!」
  しまいには、窓に石を投げつけ(!)血だらけになることも・・・。
 
  藤子不二雄A、弘兼憲史が好きな作品
 
  手塚治虫さんの好きな作品を挙げていただきました。
 
安孫子・・・きたるべき世界』(1951年)
 
安孫子 「最後、隕石が来て大都会が崩れて、地球は終わりだ!
     という・・・すごい!」

 

(写真)弘兼さんが持参した「新宝島」を手に… 「セリフがないんですよ!」
 
弘兼『きりひと讃歌』(1970~71年)
 
弘兼「四国の山中で顔が犬になる奇病を描いていて…
    衝撃的でした」
 
石川『火の鳥』
 
石川 「一つあげるなら『火の鳥』です。
    もし火の鳥に会えたら、自分が前世は何だったのか、
    どこでどういうことをしてたのか聞いてみたいですよね」
 
 
  大盛況!特別展「手塚治虫展」
 
  6月21日まで、江戸東京博物館で開催されていた
  『手塚治虫展』は幅広い年齢層の来場者で賑わいました。
  3世代で連れ立って来場されるお客さんも目立ったそうです。
 
  石川真紀ぴょんが印象に残った展示は…
 
  ・手塚家の8ミリフィルム上映
   「お庭でバドミントンをして和気あいあいと楽しんでいました」
 
  ・医学生時代のノート
   「手術の手順がイラストと文字で書かれていて
    出版したら“読み物”として面白そうと思うくらいでした」



伝説のトキワ荘
 
「漫画界の梁山泊」ともいわれ
 多くの若手漫画家が暮らしたトキワ荘。
 (東京都豊島区椎名町=現在の豊島区南長崎三丁目)
 
安孫子素雄さんと藤本弘さんの「藤子不二雄」は1954年
手塚治虫さんがトキワ荘を退室する際に勧められ
手塚さんが暮らした14号室に入居しました。
 
この時、手塚さんは二人のために敷金を残してくれたそうです。
 
  そして、寺田ヒロオさん、石森(石ノ森)章太郎さん、
  つげ義春さん、赤塚不二夫さん・・・そのほかにも
  多くの漫画家が同じ屋根の下で暮らしたトキワ荘・・・
 
  あちらが載れば(連載開始)
  こちらが落ちる(連載終了)というように
  当時、少年誌の連載を持つことは
  “少ないパイを争う”ということであり、
  皆、本来“ライバル同士”のはずですが
  トキワ荘の漫画家集団は、仲間の連載が決まれば
  祝福するという関係でした。
 
安孫子 「“不思議な兄弟”のような感じで
     ジェラシーもありませんでした」



団塊リポート
 
団塊リポートでは新潟県の『栃尾てまりの会』4代目会長の
福王寺さんと電話をつなぎ、
新潟県長岡市栃尾地区の農家の女性たちの間で
代々 受け継がれてきた“栃尾てまり”について伺いました。
 
鮮やかな刺繍が施された栃尾てまりは、手作業で球体を作り上げ
完成までは早ければ1日、ものによっては1週間から10日かかるとか。
 
女の子のおもちゃ、結婚式、米寿のお祝いなどに用いられ
「丸々と健やかに育ってほしい」という願いが込められているそうです。
 
この日は『栃尾てまりの会』にご提供いただいた栃尾てまりを
3個1セットにして、番組をお聴きのリスナーの方に
プレゼントさせていただきました。
――ご応募の受付は終了しました――


団塊ホームルーム
  
レトロアイテムは町田忍さんがの“宝物”
創刊から5年後の昭和39年の『少年サンデー』『少年マガジン』。
 当時の『少年サンデー』には『オバケのQ太郎』が連載されています。
 
町田 「今でもジックリ読めます」
 
このパートでは、藤子不二雄Aさんが手塚治虫さんとの
出会いを語ってくださいました。
 
“書店に入ったとたんに光が射した”という
手塚治虫さんのデビュー長編『新宝島』を一冊見つけ・・・
 
安孫子 「タイトルがローマ字で、いっさいセリフがない。
      こんな漫画は初めてです。
      当時の漫画は必ず吹き出しがあって、
      “全身”を描くんです。“アップ”なんて一切ない。
      ところが(アップの描写もある)これを見たときに
      まさに“紙に書かれた映画”だと思いました」

 

 
これに感激した安孫子少年が、手塚治虫さんに
油絵で描いた肖像画という“付録付きのファンレター”を出すと
すぐに返事が届き、その後、手紙のやり取りを経て
高校2年生の時に、藤本弘さんと一緒に
宝塚市の自宅を訪ねて出会いを果たされます。
 
  この時、1000ページ書いて、400ページがボツになったという
  『来るべき世界』のボツ原稿を目にして
  大きな衝撃を受けたそうです。
 
安孫子 「『先生“来るべき世界”なのに
    見たことありません』って言ったら
    『ボツにした』って・・・。信じられない!」
     
 
弘兼「手塚先生は不思議な方で、
     いろんなタイプの漫画家にとって
     “別格”“雲の上”にいる方なんですよね」

 
「少年サンデー」「少年マガジン」の話題については
町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。


夢の共演!!
  
「ドコモ団塊倶楽部」だからこそ実現した夢の合作色紙を大公開!
 
喪黒福造&島耕作
  特別掲載!矢吹 ジョー島耕作 ホームページ初公開!!
 

 
(左)藤子不二雄Aさんの代表作の一つ「笑ゥせぇるすまん」の
  喪黒福造と、喪黒に“ドーン!”とされる島耕作
  この日「喪黒福造のモデルは大橋巨泉さん」であると明かされました。
 
(右)ちばてつやさんの「あしたのジョー」の主人公・矢吹ジョーと
  島耕作が見つめあうショットをホームページ初公開!
 
  2008年11月24日の放送で
  ちばてつやさんをお迎えした際に描いていただきました。
 
(画像をクリックすると拡大します)
 
※藤子不二雄Aさんの「A」の正しい表記は ○にA です

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