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10月16日 ゲスト:豊岡 豊さん


テーマ『音楽生活60年 豊岡豊の愛と笑いのバンド人生!』
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ゲストは、1930年 北海道登別市登別温泉町出身 御年80歳のプロドラマー
「豊岡 豊とスィング・フェイス」のバンドマスターの豊岡 豊さん。
 
 弘兼
 「15歳くらいの時、レイ・マッキンレーから
  ジャズのドラムは
  カッコいいなと感じたんです」

 
 石川
 「父がアマチュアのジャズマンで
  幼い頃から、
  豊岡さんの音源、映像に触れて育って
  ジャズが子守歌代わりでした」


ジャズが大好き 弘兼憲史さん、
そして、今も演奏を続けていらっしゃる豊岡 豊さんの
パワフルさに驚きを隠せない石川真紀ぴょん――
時に豪快、時にユーモアたっぷりに、
そしてジャズの名曲とともにお送りした2時間の生放送では、
さらに驚愕の過去も判明・・・!!
 
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ジャズ・・・ドラムとの出会い
 
15歳で終戦を迎え
故郷・登別温泉町の「登別グランドホテル」が米軍に接収され・・・
“豊岡少年”はラジオ(FEN)で初めてジャズに接し、
やがてダンスホールに入り浸る毎日を送るように――。
 
  ※米軍の管理下に置かれたグランドホテルは朝鮮戦争が始まると
   負傷した米兵の温泉治療のために使われました

 

 
ある時、ダンスホールのバンドのドラマーが行方をくらましたことから
チャンス到来★★
豊岡さんが代役に名乗りを上げ“見よう見まね”でドラムを叩いて、
見事 バンドへの仲間入りを果たします。
 
  やがて、ビーバップ(bebop)のホンモノの腕を持つアメリカ人ドラマーと出会い・・・、
  徹底的に その技術を叩き込まれると、
  習得した“当時の最先端ともいえるテクニック”は
  長年キャリアを重ねた古参のバンドの中では活かしきれないと感じて・・・
 
豊岡 「周りが古臭い人ばっかりですから、
     僕のビーバップは合わない。どうせやるなら・・・」

 
  より高いレベルを目指した豊岡さんは、22歳で上京を決意・・・!
 
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階下の女性
 
夢を抱いて東京へやってきた豊岡 豊さんでしたが、
音楽で“食っていく”ことは容易ではありませんでした。
下北沢の下宿先での男3人の共同生活は、
ズボン1着を3人で着回し(外出できるのは一人だけ)
ある日の食事は煮干し4本を3人で分け合う・・・という
極貧にあえぐ生活・・・。
 
ついには、階下に住む女性に“救い”を求め・・・
 
  『なにか食べるものをください』
 
  切実なる願いを したためた“鍋”に入れ、
  ひもで吊るして窓から下ろすと、
  女性はチョコレートやビスケットを入れてくれました。
 
  そして『おにぎりをください』と徐々に要求はエスカレートして・・・。
 
    ところで この女性、影には大企業の重役男性の存在があり、
    ちょっぴり“ワケあり”――。
 
  “お礼”をしなければ・・・でも お金はない――
  男3人が選んだ その方法にスタジオは驚愕!
 
豊岡 「男性は 月に2回しか来ない。
     だから『お寂しいんじゃないだろうか』
     我々は若い…
     ( 中略 )
     …キレイなかたでした。
     たいへんうれしい思いをいたしました」

 
弘兼 「ゴハンはいただくは・・・
     両方ともしているような感じがしないでもないですけど(笑)」

 

 
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東京キューバンボーイズへ
 
東京キューバンボーイズのドラマーで、豊岡さんの北海道の先輩がバンド離脱。
そこで、豊岡さんに白羽の矢が立ちますが・・・
 
「冗談じゃない。東京で“9番”のバンドなんて行けるか!
 どうせやるなら1番のバンドに行きたい!」

 

 
当初は参加を固辞していた豊岡さんでしたが、
“受けるだけ・・・”「入る気はない」という気持ちで臨んだテストで
好き勝手に演奏すると、
従来のキューバンボーイズのテイストにはなかった
新たな音楽性が高く評価され“札束攻勢”で迎えられることに…!
 
豊岡 「ついつい、御手手が出まして、
     『はい、あしたから参ります!』…無節操ですね」

 
豊岡 豊さんは東京キューバンボーイズに6年間在籍しました。
 
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歌手が譜面どおりに歌わない場合、バックバンドはどうする??
 
豊岡 「われわれはあくまでも“バック”の人間、
     “メイン”に恥をかかせたくないですから、
     間違えたら、そっちのほうに“つけて”あげます」

 
歌い手さんの中には、意図的に“譜面”を無視する人も――。
 
石原裕次郎さんは、ステージに登場するや、
演奏もおかまいなしに、客席の知人と話し込んで・・・
 
豊岡 「バンドはしょうがないから
     ピアノだけで♪ズンチャッ ズンチャッ・・・と流してるわけです。
     それでいきなり ♪アカシヤの~ って始まるんです」

     ※『赤いハンカチ』
 
弘兼 「カッコいいじゃないですか」
 
豊岡 「こっちは、ずっと(いつ歌が始まるか)見てなきゃいけない」
 
2コーラス目から歌い出すこともあったそうです。
  
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番組エンディングを迎えて・・・
  
豊岡 「ラジオの生放送は久しぶりなので緊張しました」
 
弘兼 「生放送じゃなかったら、もっと面白い話がいっぱいあったんですけどね」
石川 「業界のウラ話を伺えば伺うほど・・・(笑)」
 

 
  豊岡 「できれば、生放送じゃないやつを」
 
  弘兼 「マイクがオフになってる時に
       面白い話がたくさんありましたけど、紹介できませんでした」

 
時折、生放送の電波に乗ってはおりましたが、
歯に衣着せない本音の部分と、
ドラマー、ジャズマンとしての誇り・・・
そして随所に“ユーモア”を含んだ豊岡 豊さんの語り口――。
 
放送終了後は夕方5時開演の公演のため日比谷公会堂に向かわれました。
 
  硬軟自在――80歳にしてパワフルに、そしてユーモアも織り交ぜて…
  石川真紀ぴょんは、豊岡さんに
  17年後の弘兼憲史さんの姿を重ね合わせるのでした。
  (詳細はこちらをご覧ください
 
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お送りした曲目
 
ニューヨークの秋 / チャーリー・パーカー with ストリングス
  (弘兼セレクション)
レッツ・ダンス / ベニー・グッドマン楽団
  (弘兼セレクション)
オルフェのサンバ /豊岡豊とスイング・フェイス
 
オール・オブ・ミー / 豊岡豊とスイング・フェイス
 
メモリーグラス / 堀江淳
  (RN・カリメロ母ちゃんが初めて買ったレコード)
シング・シング・シング / ベニー・グッドマン楽団
  (豊岡 豊さんが初めて買ったレコード)
空港 / テレサ・テン / 演奏:豊岡豊とスイング・フェイス
  (1976年 ルイード ライブ音源)

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豊岡 豊さんの名言・好きな言葉はこちらをご覧ください。

2010年10月16日