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8月28日 海老名香葉子さん、二代 林家三平さんの名言

海老名香葉子さんの好きな言葉
 
    『泣いて 笑って 頑張って』
 

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 お父さんがいなくなって、
 お弟子達とみんなで
 泣いたり笑ったり…、
 20年くらい、本当に“戦い”でした。
 
 だから
 『頑張ろう、頑張ろう』の一心でした。
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二代 林家三平さんの好きな言葉
 
    『楽屋はペケ 高座は一番』
 

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「楽屋の中にいるときは いつでもしもの方にいて、
 先輩方に気を使いなさい。しかし、高座に上がったら、一番ウケるように」

父から常々…噺家になる前の小学校の頃から言われていました。
 
  「これが僕の一番の言葉だよ」って、いつも口にしていたんです。
 

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弘兼 「“楽屋の中では一番下になれ”ということですね」
 
はい、そうです。
一番下の気持ちでいろ――ということです。
そういうことをずっと教わっていました。


『三平さん』と呼ばれることについて

まだまだ慣れないですね。
友達とかはまだ『いっ平ちゃん』と呼ぶこともありますけど、
いずれ『三平ちゃん』というのが“板に付く”時期が来ると思います。
それ目指して頑張っていこうかなとは思っています。
 
  『頑張る』という言葉は、嫌いなんですよ。
  “我を張る”という意味なんで、
  『頑張ります!!』 というかたちになってしまう。
  それよりも“精進”という言葉の方が好きなんです。
  一歩一歩頑張っていく――そういう意味でしょうか。
 
私にとって父という存在は、
同じ“噺家”としての土俵に立ったことはないもんですから、
凄さだけは感じてますけど、
やっぱり、兄の言うとおり“憧れ”の存在ですね。

弘兼 「お兄さんはプレッシャーを弟さんに掛けたっていう感じがしますよね」
 
◆「林家三平」を継いで変わったことは?
 
重責を担いでいるという、
父の名前を大きくするのも、沈めるのも僕なんですよね。
看板を引きずって生活していくのか、それとも、
ちゃんと掲げて、これから生きていくのか――
っていう差は出てくると思いますよね。
 
  日頃の、お客様との対応を大切にしないといけない。
  父は『サービス精神』という言葉を大切にしたと思うんですよ。
  それを思って、今後やっていかないといけないな、と思ってます。
 

 
◆俳優業について
 
今、時代劇をやっているもんですから、
古典落語と時代劇ってマッチするんです。
 
  場が“見える”もんですから、そういうところで勉強させていただいて、
  いずれは落語に返していきたい、そういう環境を作っていきたいと思ってます。



九代 林家正蔵さんの好きな言葉
 
    『生きてゆくのも
       まんざら悪くないと思って頂けるのが
          落語だと思う今日このごろ』

 

  
九代 林家正蔵さんインタビューより
 
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■父親の落語のスタイルとしては「正蔵」を襲名するよりは
 「三平」でいた方がよかったと思います。
 
■子供ながらに、凄く“売れっ子”だったと思ったのは…
 母が、その日、父親が出ているテレビ・ラジオに赤丸をつける――。
 お正月は、ラテ欄が真っ赤っかになるんです。
 
■不思議な父親でして・・・
 仕事熱心なんですけど、子供にはものすごく愛情を注いでくれました。
 授業参観には、着替える時間がなくて高座着(紋付き袴)でやって来て、
 校庭でギターをならして「ヨシコさ~ん!」って歌って、
 「うちのせがれの教室はどこなんですか?」って聞くんです。
 
  (時間の都合で、途中で帰る際に)
 
 「小噺をやらせてください。
  よい子のみんな、聴いてください。
  パンダは何を食べるんだ?・・・パンだ

 
 一瞬シーンとするのが、すごく恥ずかしかったんです。
 困ったのが、そのネタが6年間変わらなかったんです。
 「毎年“パンダ”だな」って言われて…。
 
■入門を申し出ると、二度 断られ、三度目の申し出でお許しが出ました。
 指導は大変厳しく、殴られ殴られ…、本当に頭がこぶだらけで、
 だから『こぶ平』っていう名前になったんじゃないか、っていうくらい…
 なんで『こぶ平』だか、いまだにわからないんですよ(笑)
 
■立ち上がる、音をつける、客をいじる、客席におりる、
 野外のステージでは客席に草履を“ポーン”とやる…
 全部、寄席のタブーです。
 
 昭和の名人が一番全盛を誇っていた時に、
 あのスタイルは まず考えられなかったです。
 
■時代に選ばれちゃった人なんだと思います。
 
 うちの父親の落語はものすごく簡単なようでいて、
 七転八倒、苦しみながら楽しみながら笑いながら泣きながら…
 みたいな芸が父親の芸だと思います。
 
■亡くなる前に言われたことは・・・
 “他の人には内緒に…”と呼ばれて言われたのが
 「明るく元気に一生懸命」
 
 笑ってしまって…、
 結局、芸人って“それ”なんですね。
 エンターテインメント=人を楽しませる者にとっては、
 一番大切なことですね。
 
■恥ずかしかったのが、色紙を頼まれた時、
 それまでは『どうもすいません』と書いていたものが、
 やがて漢字一文字で『愛』と書くようになって…。
 『愛』ですよ!(笑)
 
(今、天国の三平さんに ひと言、声をかけるとしたら)
 
 『弟をよろしく』
 「三平」という名前を継ぎましたんでね。
 私が「三平を継げ」と言われたら、継いでないと思うんです。
 なぜかと言うと
 父親の“凄さ”を弟子として入って間近で見ているから。
 弟は多分“憧れ”でなってるけど、僕は“怖さ”を知ってるから、
 弟のことを、お父さん、ひとつよろしくお願いいたします。
 私もサポートしますんで。
 ラジオの前の皆さんも よろしくお願いいたします。

2010年08月28日