639

10月3日は武田鉄矢さん登場!

「ドコモ団塊倶楽部」10月3日放送のゲストは武田鉄矢さん。

◇テーマは『海援隊デビューから37年!
        還暦を迎えた武田鉄矢が今、迫真の演技で伝える
            “降りてゆく生き方”とは!?』        

 
武田鉄矢さんが主演された1本の映画『降りてゆく生き方』を通して
団塊の世代の“来し方”と“これから(行く末)”について
じっくりと考えてみたいと思います。

  ※文化放送と新潟放送をお聴きの方は生放送で、
   信越放送と山梨放送をお聴きの方は
   10月4日 日曜日の放送でお楽しみください

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

◇メール・FAXのテーマ◇

< 人生のピーク ~ 最高に輝いていた瞬間 >

 甲子園で大声で校歌を歌った瞬間・・・、結婚式で指輪をはめた瞬間・・・
 念願のマイホームに初めて足を入れた瞬間・・・、
 課長に昇進した瞬間・・・
 あるいは『まだまだピークじゃない!これから!』という方は
 “ピークの予想図”を教えてください。

  武田鉄矢さんへの質問・メッセージ、番組の感想も大歓迎です。

メールのあて先は dankai@joqr.net

メッセージをお寄せいただいた方の中から抽選で5名様に
3千円分のミュージック・ギフトカードをプレゼントします。
必ずご連絡先をお書き添えください。たくさんのお便りをお待ちしています。

メッセージの受付は10月3日の生放送(文化放送、新潟放送)の
終了をもって締め切らせていただきました。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

◇放 送 内 容◇(予定)

「映画がじんわり&深く伝える“降りてゆく生き方”とは?」
 
 “生き方探し映画”
 こだわりの“自主上映”作品『降りてゆく生き方』について。
 
「“降りてゆく生き方”は団塊のこれからの生き方そのもの!」
 
 団塊の世代のこれからの生き方と大きくオーバラップする
 “降りてゆく生き方”を武田鉄矢さんが徹底解説。
 
「武田鉄矢&弘兼憲史が考えた
  <地域おこしに絶対必要な5カ条>」

 
 映画『降りてゆく生き方』には様々なキーワードが埋め込まれています。

 <自然との共生(クマ・水・森・棚田)>
 <未来への不安> <悩める農業> <酒造り>
 <地域づくりの難しさ> <男の役割・女の役割>
 <セカンドライフをどう生きるか>
 
 ・・・そこで、武田鉄矢さんと弘兼憲史さんの二人が考える
 <地域おこしに絶対必要な5カ条>とは・・・?

「大好評!ゲストの皆さんの“好きな言葉”」
 
 武田鉄矢さんの好きな言葉は?

2009年09月26日

637

9月26日 町田忍コラム『招き猫』

現在では広く招福として知られている『招き猫』の発祥説は色々あるが
中でも有名なのが「豪徳寺」説

江戸初期、井伊直孝が鷹狩りに来ていたとき、
小さな寺の門の前で猫が招き入れる姿をみて
寺に入った途端に雷鳴が鳴り響き大雨となったという。

そして、その寺のご住職と親しくなり、
以降、井伊家の菩提寺となって『豪徳寺』は栄えたという。

現在でもこの時の猫と伝えられている
「たま」の墓が同寺にある。


▲写真右の白い招き猫人形は現在、豪徳寺のみで入手できるもの

招き猫の中で
左手をあげているものは人を招く。
右手をあげているものはお金を招くとされている。

ほかに、金色もお金を招く、
黒色は魔除け、赤色は無病息災の色とされている。

最近は色々なタイプが登場しており、
アメリカに輸出する招き猫は小判のの文字が『$』になって
招く手も手のひらが上向きとなっている。

また、両手をあげたもののほか、ユニークなものも見かける。

2009年09月26日

636

9月26日 石川真紀 放送後記

◆ゲスト:江戸家小猫さんの回◆

小猫さんとは、半年ぶりにご一緒させていただきました。
今回も、スタジオが演芸場に様変わり。
リスナーの皆さんから寄せられた
手強いリクエストに応じて
珠玉の動物モノマネを立て続けに披露していただき、
表情豊かな動物を模写する小猫さんの多彩な表情を拝見しているうちに
笑いすぎて涙が出てきました。

お父さまの演芸をテレビで見て育ち、
小猫さんの演芸を間近で満喫していると、
演芸というものが
ご自身のたゆまぬ努力を基盤に
観客のみなさんと共に作り上げ、育てられていくものであるということを
ひしひしと感じます。

目前に控えた四代目・江戸家猫八襲名後の公演を
拝見するその日を、
そして、
小鳥関連のお仕事もご一緒できますこと、
心待ちにしております。

犬のモノマネを練習していて、
なかなか出来ない猫のモノマネ
、大好きです。


Un cahier de MAKI_178.jpg ぜひブログにもアクセスしてください。

2009年09月26日

635

9月26日 弘兼憲史 放送後記

◆ゲスト:江戸家小猫さんの回◆

我が家に、昭和34年にテレビが来た頃
一番の人気番組が『お笑い三人組』でした。

小学生の時から江戸家猫八さんという名前を知っていて
その頃、猫八さんは40才くらいだったと思うんですが
それをさらに超えたご子息・60才の小猫さんに会って・・・
ご本人もおっしゃってましたけど、最近は、
「どんどん、お父さんに似てきた」ということでしたから
“懐かしい”という気がしました。

Hirokane_090926_01c.jpg

きょうは仕事なんですが、
目の前、1メートル以内で芸を見させていただきまして
本当に楽しく、笑わせていただきました。

楽しい2時間でした。


石川 「弘兼さんはモノマネはしないんですか?」

弘兼 「しないですね。三木さんのマネなら・・・」

(このあと、文化放送・三木社長のモノマネを延々と繰り広げる弘兼さんでした)

2009年09月26日

634

9月26日 江戸家小猫さんの名言 (四代目 江戸家猫八さん)

◆『団塊リポート』に寄せられた作文より
 ・・・病気を併発し、失明してしまったペット(犬)の世話のため
   5種類の目薬を15~30分おきに投与、
   家を空けられないため、家族旅行を控えている・・・

 
  ※最近は、食欲も回復し、
    手術をすれば、再び見えるようになる可能性もあるそうです。

 
好きな旅行に行けなくても、と、そのくらいの気持ちを持てる、
ここまで看てあげるっていうのは、本当に偉いことですね。
家族の一員ですから、ワンちゃんも喜んでると思います。
 
(ペットを獣医にかける)・・・そこまでできる時代にようになった以上は、
できるだけのことをしてあげること、
それから、近頃言われている、飼っていたペットを
飼えなくなったから捨てる、処分する、というのは嫌ですよね。
 
(作文を寄せてくださった)こういう方のように
飼う以上は、家族のように共に
やってあげることはとても大事なことだと思います。
 
ペットを飼う以上は、おしまいまで仲良く!
ペットを飼っていらっしゃる皆様方に
『友白髪まで』という言葉を贈りたいですね。
 

 
Q.小猫さんの息子さんも
  後を継いで本格的に動物モノマネの世界に入られたのでしょうか?
  この芸が代々続くことを期待しています。

 
今、立教大学の大学院で勉強してるんです。
キャンパスで勉強しながら、
将来、僕の後を継ぐための準備をしています。
希望は、ドクターコースまでいきたいらしいんで、
一番うれしいのは、ひし形の帽子をかぶって、
そこで“二代目 江戸家小猫”の襲名披露をしたいと思っています。
 
  僕も親父の芸を見て育ってきたので
  無理のない形で自然に
  気持ちが決まっていくことはいいことだと思いますし
  また、代々つないでいかないとね。
 
やっぱり“モノマネ芸”というものは
こんなにたくさんの方に応援していただいていますので
これは絶やすことなく続けていきたいな、と思いますね。
 
せがれが後を継いでくれれば、
こんなにうれしいことはありません。
 

 
江戸家小猫さんの好きな言葉 (四代目 江戸家猫八さん)
 
    『一生懸命』
 

 
一生懸命やることが好きです。
ただ、至らないことは多いし
『一生懸命』っていうのはけっして“パーフェクト”じゃないんです。
だけど、自分が今できる限りのことを
とにかく一生懸命やる・・・それだけですね。
 
弘兼 「このサインは、これから見られなくなりますから
     貴重なサインですね。
     しかも『四代目 江戸家猫八襲名に向けて』と書いてありますよね」

 
まさに、きょうの心境を描かせていただきました。
 
(サインについて)
 
サインも変えなきゃいけない。
“江戸家小猫”のイニシャル『KE』をからだにして
サインを書いているんですけど
今度“江戸家猫八”で『NE』になるんで
それをそのままじゃ、あまりに似過ぎてるからどう変えていくか…
一応、基本形は出来たんですけど、これから完成させていきます。
 

 
弘兼 「襲名…人生最大のイベントといっても過言ではないですね」
 
僕がこの道に入った以上
やっぱり、この大きな名前を襲名して
この名前で芸をやっていくということ、
これが僕にとって大変大きな、大事なことだと思っています。
 
(画像をクリックすると拡大します)

2009年09月26日

614

9月26日 ゲスト:江戸家小猫さん (四代目 江戸家猫八さん)


テーマ:『今年“還暦”の小猫師匠、10月に『四代目 江戸家猫八』襲名!
          きょうも啼きます!囁きます!!』   

 ゲストに、団塊世代で今年還暦を迎え
 来月に『四代目 江戸猫八』襲名を控えた
 江戸家小猫さんをお招きして
 60才で『江戸家猫八』を継ぐ
 決断に至った真相、
 “四代目 猫八のカラー”として
 今後進めていく芸の方向性、
 そして、襲名を直前に控えた
 心境などを伺いました。

また、番組をお聴きの皆さんから募集した
設 定 を 加 え た 動物モノマネの(無茶苦茶な!)リクエストにも
時間の許す限りお応えいただいて・・・スタジオは爆笑の連続!
 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
実践!指笛の吹き方

小学生の頃、大人気テレビ番組『お笑い三人組』に出演していた
父・三代目 江戸家猫八さんに憧れた小猫さんは、
父の後を継ぐと公言し、9才で『江戸家小猫』を名乗ります。

師匠の猫八さんは『芸は見て勉強し、盗むものだ』と、
手とり足とり指導することは、ほとんどありませんでしたが
ウグイスや虫の鳴き方など、独特の技術を必要とする芸は例外で
“指笛の吹き方”を伝授されました。

◆指笛の吹き方◆

小指をかぎ型に曲げる(コの字のようになる)。
口にくわえる。
 親指を上にして、右横からベロのあたりまで差し込む。※右手の場合
息を抜くとき、
 コの字に曲げた小指の内側にできる隙間が“笛”になる。
息を抜くとき、一か所から抜けるようにする。

弘兼 「(フーフーッ!フーフーッ!)・・・無理だ」

小猫 「笛の原理ですから、何回も練習しているうちに
     息が強く通る時に
     (ピィー!ピィーーッ!!)って音になるわけです」

はじめから音は出ませんが、
指の角度や息遣いなどを変えながら、音が出るまで練習を続け
音をつかんでいく・・・これが猫八さんの教えです。

  スタジオでは、弘兼憲史さん、石川真紀ぴょんも
  言われたとおりに挑戦しましたが・・・
  残念ながら、息の抜ける音ばかり。

たとえ音が出ても“芸”の道はそこからがはじまりです。

◆芸の域へ◆

ウグイスの声にする。
本物のウグイスの声を聴いて腕を磨く。
お客さんの前で披露し、お客さんに鍛えられる。

小猫 「お客さんにウケる・ウケない・・・そういうことを経て
     ひとつのウグイスが完成に近づいていくんです」

さらに・・・
ただ単に似ているだけでは“芸”とはいえません。
お客さんを喜ばせることが求められるため

◆芸を極める◆

まずは、そっくりに鳴く。
その上で、コミカルにするために、面白おかしく冗談も織り交ぜる。
  ――こうしてはじめて“芸”と呼べるものになるのです。

小猫 「モノマネ芸は
     鳴きマネを技術的にしっかりとやることと
     それにまつわる話で皆さんに笑ってもらって
     ネタで盛り上げる・・・
     この“二つの柱”をきちっとやらないと成り立たないんです」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
徹底追跡!・・・えっ?!モグラも鳴くの??

公演でお客さんからのリクエストを受け付ける際
たとえどんなものをリクエストされても
困ってはダメ、やらなければいけません。

  とはいえ『鳴かないもの』はマネしようがありませんよね。

このような場合、トークで時間をつなぎながら頭の中で考えて
どうにかその場はしのぎます。

  しかし、舞台ではどうにか笑いをとったとしても、悔しさが残るもので
  たとえば『モグラ』をリクエストされた際には
  後日、親しくしている動物園協会のかたに
  モグラの鳴き声の音源の入手を依頼。

小猫 「困ったけど、逆に勉強するいいきっかけになりました。
     どうしようもなく“お手上げ”の時は冗談で逃げますけど、
     そういう意味では、モグラは非常に印象的でした」

石川 「お客様とのコミュニケーションの中から
     新しい芸が生み出されていくことがあるんですね」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今年『江戸家猫八』を襲名するワケ

10月20日にいよいよ『江戸家猫八』を襲名する小猫さんですが
これに至るまでには、大きな決心を必要としました。

代々続く、いつかは継がなければいけない名前であることは
理解しながらも、『猫八』の名前に対し
「親父のイメージが強すぎる。『猫八』は親父で、俺は『小猫』」
という意識が強いあまり、襲名に踏み切れずにいたのです。

  そうした中で、今年、ついに襲名することにした
  きっかけには、生前の猫八さんの言葉がありました。

「俺は88才になったら『八十八やそはちにするから
 お前が『猫八』を名乗れ」

そして、猫八さんが80才で亡くなられてから8年・・・

小猫 「親父が生きてたら、今年が『八十八』になって俺が『猫八』になる年」

また、今年は、小猫さんが11月30日の誕生日で還暦を迎え、
9才で『江戸家小猫』を名乗ってから50年
さまざまなことが節目を迎えました。

小猫 「今年しかない・・・
    親父も『何グズグズしてんだ、今年しかねぇぞ!』
    って言ってる気がして・・・
    それでこの“大きな決心”をできた、と」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
四代目 江戸家猫八襲名直前!動物モノマネショー!!

番組をお聴きの方から
設定を加えた動物モノマネのリクエストを募ったこの日の放送。

『何でもお応えします』という小猫さんのお言葉に甘えて
12時台の後半は、モノマネのオンパレードとなりました!

“歌を忘れたカナリヤ”というリクエストには
「(リー・・・リリ・・・リ・・・(あれ?)」(首をかしげる)

弘兼 「これは舞台で観たいですね!」

◆◇この日 披露していただいたモノマネ◇◆

・カワセミの鳴き声
・寝言を言っているニワトリ
・関西弁で鳴くスズムシ
・おしゃべりなヒバリ
・道に迷っている子ネコと
 何を聞いてもわからず困っているイヌのお巡りさん
・道産子とサラブレットの「ヒヒーン!」
・蚊の鳴く音(羽音)
・ドジっこでかわいいネコ
・豆鉄砲をくらったヤマバト
・政権交代を許してしまった猿山の元ボス

・イヌの鳴きマネをするネコ (石川アナウンサー大爆笑)

石川 「かわいい!これ大好きです!!
      ・・・涙が出てきた・・・」

また、11時台に小猫さんのリクエスト曲『小さい秋みつけた』を
おかけした際には、イントロ部分に
秋の虫・コオロギ、スズムシの鳴き声をのせていただいたのですが・・・
直後に、土浦市にお住まいのリスナーの方から
次のような報告が届きました。

『庭のスズムシが一斉に鳴き出しました!ビックリ!!』

小猫 「(鳴きマネをすると)時々、反応してくれるんです。
     (虫が)ラジオを聞いて鳴いてくれるなんてうれしいなぁ」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
四代目 江戸家猫八さんの襲名披露

10月20日に『江戸家猫八』襲名披露パーティーが行われ
11月1日~20日には、寄席で襲名披露をし、この間、トリを務めます。

11月 1日~ 5日:上野鈴本演芸場
11月 6日~10日:浅草演芸ホール
11月11日~15日:新宿末広亭
11月16日~20日:池袋演芸場

12月16日~20日:国立演芸場

小猫 「寄席で育ちましたので、
     その寄席でトリをとって襲名披露ができるということ、
     これは大変うれしいことです」

11月10日:NHK-BS
     三代目江戸家猫八さんの生前のVTRとの共演
11月30日:浜離宮朝日ホール 小ホール
     ヴァイオリニストの大谷康子さん、藤井一興さんと
     ヴァイオリンと動物モノマネのコラボレーション

小猫 「親父とのコラボレーションと
     音楽とのコラボレーションを
     四代目猫八の特徴・カラーにしたいと思います」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
団塊ホームルーム

昭和レトロアイテムは『招き猫』

●招き猫“なるほど”キーワード
・“左手”は「人」を招き、“右手”は「お金」を招く。
・時代とともに、手の高さが高くなってきている。
・“両手で招く”招き猫もある。

このパートで、町田忍さんが“招き猫”にちなんで
ネコの鳴きマネをリクエストすると
小猫さん、芸の中では“極めつけ”“これにつきる”という
『サカリの猫』を披露してくださいました。

※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
お送りした曲目

一週間に十日来い / 五月みどり
  (弘兼セレクション)
小さい秋みつけた / ボニー・ジャックス
  (江戸家小猫さんのリクエスト)
   ※イントロに“秋の虫の声”を加えたスペシャルバージョン
先生のお気に入り / ドリス・デイ
  (弘兼セレクション)
煙が目にしみる / ザ・プラターズ
  (江戸家小猫さんのリクエスト)
喜びの世界 / スリー・ドッグ・ナイト

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
江戸家小猫さんの名言・好きな言葉はこちらをご覧ください。

2009年09月26日

639

9月26日は江戸家小猫さん登場!

「ドコモ団塊倶楽部」9月26日放送のゲストは
動物の鳴き声専門エンターティナー江戸家小猫さん。

◇テーマは今年“還暦”の小猫師匠が四代目「江戸家猫八」襲名!
           きょうも啼きます!囁きます!!』       

 
10月に、四代目「江戸家猫八」を襲名、
11月には襲名披露公演が予定されている江戸家小猫さんの
41年の“芸人人生”を振り返るとともに
襲名まで1ヶ月を切った現在の心境をお伺いします。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

◇メール・FAXのテーマ◇

< 小猫さんに[]ってもらいたい動物モノマネ >

 小猫さんは、鳥(100種類以上)鳥以外の動物(100種類以上)
 合計200種類以上のレパートリーを誇る小猫さんに
 あなたの聞いてみたい「動物」をリクエストしてください。

 さらに今回は <四代目江戸家猫八 襲名記念>ということで
 「動物名」に、もうひとつ“条件”を追加してください。

 たとえば・・・「春のウグイス」「風邪をこじらせてたコオロギ」
        「会社に遅刻して恐縮しているカマキリ」・・・などなど

  江戸家小猫さんへの質問・メッセージ、番組の感想も大歓迎です。

メールのあて先は dankai@joqr.net

メッセージをお寄せいただいた方の中から抽選で5名様に
3千円分のミュージック・ギフトカードをプレゼントします。
必ずご連絡先をお書き添えください。たくさんのお便りをお待ちしています。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

◇放 送 内 容◇(予定)

「三代目“江戸家猫八”から学んだ芸の神髄!」
 
 “父”であり“師匠”でもあった先代(三代目)の猫八さん。
 先代の教え、凄さとは・・・?
 
「世界でたった一人!動物鳴きマネの苦労と喜び」

 “春のウグイス”と、“秋のウグイス”は鳴き方がちがう?
 動物鳴きマネの研究法は・・・?
 
「四代目 江戸家猫八を襲名!知られざるその舞台裏」

 「襲名は今年しかない!」・・・そのワケは・・・?
 10月20日 襲名披露パーティー
 11月 襲名披露公演の気になる中身は・・・?
 
「動物鳴きマネ・スタジオライブ」

 もちろん、[]っていただきます!
 動物鳴きマネ・スタジオライブ!! 

「大好評!ゲストの皆さんの“好きな言葉”」
 
 江戸家小猫さんの好きな言葉は?
 
庶民文化研究家・町田忍さん登場「団塊ホームルーム」
 
 レトロアイテムは江戸家小猫さんにちなんで『招き猫』

 招き猫・・・団塊の世代の皆さんが子供の頃は
 どこの商店にもありましたねぇ。

2009年09月19日

637

9月19日 町田忍コラム『鹿児島の市電(写真)』

日本初の路面電車は明治28年(1895年)の京都でした。

今回は、西郷輝彦さんもかつて通学にも利用した
鹿児島の市電(鹿児島市交通局)を紹介します。

鹿児島の市電の前身は「鹿児島電気軌道」という民間会社で
開業は大正元年 (1912年)。

西郷隆盛や大久保利通ゆかりの地を
桜島をバックにトコトコ走る姿は風情があります。

現在はバリアフリーの最新型も登場して注目されています。



上下段 左:車庫に並んだ車両
上段 中右:モノクロ2枚は鉄道研究会に所属していた学生時代1969年撮影

下段 中 :鹿児島中央駅前の風景
下段 右 :芋虫のようなユニークなデザインが印象的な最新式バリアフリーの車両
(画像をクリックすると拡大します)


▲2007年に発売されたDVD『全国チンチン電車紀行 四国・九州編』
 (ほかに「北海道・北陸・関東編」「近畿・中国編」も)
 (画像をクリックすると拡大します)

2009年09月19日

636

9月19日 石川真紀 放送後記

◆ゲスト:西郷輝彦さんの回◆

45年の芸能生活を歩んでこられた方は、
大スターとしての格式と
親しみやすさとをバランスよく併せ持つようになるということを、
目の当たりにした放送でした。

もう10年ほど前、
お嬢さんの辺見えみりさんと
特別番組でご一緒したことがありました。
端麗な容姿ながらハンサムな面を持ち合わせていらして、
とても気さくなえみりさん。
お父さまやお母さまのモノマネをして見せてくださって、
お父さまとの交流についても伺っていたのを元に
今回、西郷さんとお話ししてみると、
親子間の説明のつかないリンクを感じます。

そして、
ご子息でミュージシャンの辺見鑑孝さんとは、
共に音楽活動をされる中で
相通じる嗜好、方向性を自然に求めていらっしゃることを
認識し合ったとのこと。
こうしたお話を伺うと、
親子という血縁のある間柄も
お互いが関係を築き合って
形作っていくものなのかもしれないと、
じんわり心の奥が温まる思いが込み上げてきています。


Un cahier de MAKI_178.jpg ぜひブログにもアクセスしてください。

2009年09月19日

635

9月19日 弘兼憲史 放送後記

◆ゲスト:西郷輝彦さんの回◆

ウチの52才になるアシスタント(男性)が
西郷輝彦さんを「大好き!」
(弘兼さんが)「うらやましい!」と言ってました。

西郷輝彦さんは、もちろん女性にもモテるけど
“男らしさ”みたいなところで、
10才くらい若い人たちにとって、憧れの俳優だったんでしょうね。

実際にお会いして、大スターなんだけど
気さくな感じがして、非常に親しみの持てる方だと想います。

ご家族、ご子息たちと一緒に仕事をされていて
辺見えみりさんも独立して やっておられて
僕からしたら、ああいうのが“理想の家族”ですね。


弘兼語録
 
 ◆かつて思い描いた“還暦像”と実際は・・・?

  (昔は「50はおじいさん」と言っていた・・・)
  今考えたら、60なんて全然・・・  (西郷 「ガキですね」
  「定年」になるという制度は、もっと伸ばさないといけませんね。

  自分は、60くらいまでちゃんと生きられるか不安でした。
  漫画家をずっと最後までやっている方って、わずかしかいなかったんで
  たぶん、どこかで違う仕事をするだろうな、と思ってたから
  あんまり、自分が60になる時のことは考えてなかったです。
  なってみたら、昔とまったく変わってない自分に気づくんです。

  考え方もあんまり、変わらないと思いません?
  今でも、黒板拭きのイタズラ・・・先生の頭の上に落ちる・・・を
  やりたいほうですから。 (石川 「いい加減、大人になってください!」

  すいません。ありがとうございます。
  怒られると、また嬉しいんですよ、この年になって(笑)


 ◆西郷輝彦さんの「最後は笑って死ねたら人生最高」をうけて

  若い頃は、自分に課題を科して、目標を作って、達成して・・・
  という“達成人生”をやってたんですけど、
  50を過ぎた頃から“楽しく生き方が勝ちだな”という気がしまして
  「最後は笑って死にたい」「笑ってゴールしよう」と
  自分の本に書いてるんで、(西郷輝彦さんと)共通するな、と・・・。

  本当に50過ぎてから、面白くなりますよ。
  (石川アナに)面白くなりますよ、きっと(笑)

  若い頃は、いろんなものを『苦しみ』と感じていたんですけど
  今この年になると、
  本来は『苦しい』と思うことが全然苦しくないですね。
  『それもいいかな』『それも受け入れよう』
  どんな大変なことを受け入れても余裕があるんですよ。


 ◆パソコンは やらないんです

  僕はパソコンはまったくやらないんで
  (パソコンが得意な西郷輝彦さんが)うらやましいな、と。
  
  結局、時間がないんですよ。
  たちあげるのに時間がかかるのがイライラして
  もうダメなんです。
  僕のところ(スタジオ)は、1分くらいかかりますから
  『まだかよ~!』って・・・。

  (パソコンで)漫画を描いてる人もいますよ。
  バックのスクリーントーンなんかをパソコンで貼ることができるんで
  ウチでも「やろうか?」と検討してるんですけどね。


弘兼セレクション
 
  青年おはら節 / 西郷輝彦

  弘兼 「西郷さんの歌でものすごい好きな曲があって
       『青年おはら節』という、おはら節が間に入っていて
       手拍子したくなるような曲です」

  恋心 / 西郷輝彦 

  弘兼 「西郷さんが外国の歌を歌っているレコードがあるんですが
       この中から僕の好きな・・・」

  西郷 「えっ・・・?!」

  弘兼 「エンリコ・マシアスが作って歌った『恋心』を。
       岸洋子さんが歌っていらしたと思うんですが、
       この西郷輝彦バージョンを」

2009年09月19日

634

9月19日 西郷輝彦さんの名言

(昔、思い描いた還暦像と現実は?)

昔は『今年50のおじいさん』といいましたが
今は考えられないですよね。
50才はまだまだ若いです。60はまだガキですね。
みんな若いですよ。

  僕らが20代30代のとき「60才」っていうと
  かなり“おじいさん”でした。
  だから、年々、若くなってきてるんじゃないでしょうかね。
  考え方も まったく同じですね。進歩してない、まったく。

西郷輝彦さんの好きな言葉

    『夢』

ずっと、一生夢を見続けていたいな、と。

(著書『生き方下手』で綴っている「笑って死にたい」の真意は?)

若いときは、血気盛んで、何をやるにも一生懸命なんですけど
50を過ぎて、60を過ぎてくると
段々“楽になりたいな”と思ってくるから
“笑って生きたい”“自分の心を丸くもって生きたい”と思うので
最後は笑って死ねたら、僕の人生最高だな・・・と。

  50代過ぎて、60代になると
  また違うものが見えて、面白いですよね。
  人生、本当に楽しいですよ、今。
 
  仕事がけっこう面白いんです。
  新しい発見があって「なんだ、そうだったんだ!」って、
  やっとわかったようなことがたくさんあるんで、面白いです。

(画像をクリックすると拡大します)

2009年09月19日

614

9月19日 ゲスト:西郷輝彦さん

テーマ:『元祖“御三家”で団塊の世代を虜に!
           西郷輝彦の人生を大きく変えた4つのターニングポイント!』  

 ゲストは弘兼憲史さんと同じ
 1947年生まれ(学年は1つ上)
 62才の西郷輝彦さん。

 1964年の歌手デビュー以降
 元祖“御三家”として人気を博し
 俳優としてもご活躍中の西郷輝彦さんに
 人生の節目節目で“ターニングポイント”
 となった出来事について伺いました。

歌手デビューのきっかけや、御三家時代の秘話、
俳優の師・森繁久彌さんの教えとは・・・?
 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
15才の家出

「実家の呉服店を継ぎたくなかった」「東京に行きたかった」

故郷を離れ、東京に行くことができるなら、
歌手でも俳優でも何でもよかった――と語る西郷輝彦さん。

予算を組み、友達からのカンパを集め、
下見も済ませていたというほど練りに練られた
“家出”計画は15才のある日、実行に移されました。

  まず たどり着いたのは大阪
  バンドボーイとして活動中、ある時、メンバーの先輩が姿を消し
  急遽、西郷さんに歌うチャンスが舞い込みました。

やがて、バンドは大阪~神戸~京都~名古屋を回るほどの
人気を集め、ある時、サンミュージックの会長の目に留まり
念願の東京へ・・・。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
“御三家”・・・ライバル関係の真実

西郷輝彦さんは昭和39年、新生クラウンレコードの
新人専属歌手第1号として『君だけを』でデビュー。

 昭和35年デビューの橋 幸夫さん、
 昭和37年デビューの舟木一夫さんとともに
 日本歌謡界の“御三家”として、
 輝かしい一時代を築きあげました。

 その三人の
 ライバル関係にまつわる
 エピソードにはスタジオも爆笑!

ライバル・・・といっても、競争心をむき出しにしたのは
三人それぞれのマネージャーレコード会社
そして、ステージで歌っている御三家を前にして
取っ組み合いの喧嘩をするほど熱を上げていたお互いのファンの方々

  お互いのスタッフ間で争いの元となるのは、
  まるで笑い話のようですが・・・
  “インタビュー時間の長さ”や
  三人が登場する雑誌の表紙の“写真の大きさ”・・・

西郷 「『(誰々が)1ミリ大きい!
     (撮影の時)できるだけ前に出ろ!』って・・・
     そんなこと言ったってねぇ(苦笑)」

極めつけは・・・
楽屋に設置された“扇風機の数”でも負けたくない!となるのだとか。

では、当人同士はどのように思っていたのでしょうか?

西郷 「向こうが すごいいい曲を出したら、
     僕も負けたくないから(スタッフに)『次はいいのを考えて!』
     というのは絶対にありますよね」

弘兼 「『スターを作らなきゃいけない!』
     って使命感が 周りにはあったんでしょうね。
     扇風機も(たとえば)1台と3台(の違いがあるん)じゃ
     僕だって『なんで(こっちが少ないん)だ!』ってなります(笑)」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
俳優・西郷輝彦の“師”森繁久彌さん

1973年(昭和48年)に放映を開始したテレビドラマ
『どてらい[ヤツ]に主演して
俳優としての大きなステップを踏み出した西郷輝彦さんが
大きな影響を受けたのが、今も“師”と仰いでいる森繁久彌さん。

『俺の芝居を観に来いよ』と声をかけられた西郷さんは
その素晴らしさに感動し、宿舎を訪ねて“弟子入り”を志願します。

西郷 「『弟子は取らんけど、そう言うなら
     うちの“店先”貸してやるから
     ついている客、好きなだけ持ってけ』と言われて
     森繁さんの舞台に出していただくようになったんです」

  アドリブに四苦八苦・・・

  森繁久彌さんとの共演では、時に、
  台本にない行動・言動で慌てふためくことがあるそうです。

  セリフを途中でやめるケース

   森繁さんが、セリフを途中で意図的にやめてしまうと・・・
   共演者が芝居を筋書き通りに進行させなければいけません。

  「・・・つまり、言いたいことはこういうこと、かな?」
  (・・・と、芝居を続けなければいけない)

  台本にない質問をするケース

   アドリブで台本にはない質問を投げかけられたら・・・
   共演者はその役柄にのっとった“返答”をしなければなりません。

  森繁 「あなたのお父さんのお名前、
       なんとおっしゃいましたかね? お姉さんは? 国はどこ?」

  西郷 「『そこまで考えて(舞台に)出なさい』
       『セリフが全てじゃないんだ』と(いうことです)」

  セリフを覚える近道は・・・“役”になること?!

時代劇『江戸を斬る』の撮影期間中のエピソード。

  西郷さんが翌朝の収録のセリフを覚えるために、
  深夜にまで及んだお酒の席を中座しようとすると・・・

  『撮影所に行く時、セリフを持っていくのか?
  撮影所の門をくぐる時に“役”でくぐりなさい。
  “役”で入れば、セリフはついてくる』

  
  西郷 「ウソだ、そんなの!(笑)
       言ってることは すごくわかりますけど・・・」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
団塊ホームルーム

鉄道ファン――中でも“撮り鉄”――の町田忍さんが
今回用意した昭和レトロアイテムは『鹿児島市内の市電・・・の写真』

ゲストの西郷輝彦さんの出身地・鹿児島にちなみ
鹿児島市の市電(鹿児島市交通局)をご紹介しました。

以前は1両だった市電は、今では3両編成となり
デザインもイメージを一新。
また、線路の間には芝生が植えられています。

町田 「ヨーロッパ風のイメージですね」

  やがて話題は“脱線”して「蒸気機関車」のお話に。

弘兼 「トンネルに入る前に、みんなが一斉に窓を閉めないと
     列車の中に煙が充満するんです」

西郷 「(煙で)弁当が真っ黒になっちゃうんです」

※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
西郷輝彦さんの最新情報

ライヴ ~~ Teruhiko Saigo Live Act.5 ! ~~

日時:11月6日(金)
    1回目=15:30開場 16:00開演
    2回目=18:30開場 19:00開演
会場:クラブチッタ川崎
チケット:8500円(全席指定/税込/ワンドリンク付き)

お問い合わせ:オーレエンターテインメント 03-5775-4600

詳しくは、西郷輝彦さんのオフィシャルサイト 西郷百歌店をご覧ください。

西郷輝彦さんのブログ「西郷輝彦のつぶやきblog」はこちら。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
お送りした曲目

青年おはら節 / 西郷輝彦
  (弘兼セレクション)
君だけを / 西郷輝彦
  (リスナー・りなさんが初めて買ったレコード/西郷輝彦さんデビュー曲)
星のフラメンコ / 西郷輝彦
  (その昔、辺見えみりさんも モノマネ!)
モナ・リザ / ナット・キング・コール
  (西郷輝彦さんのリクエスト)
恋心 / 西郷輝彦
  (弘兼セレクション)
どてらい[ヤツ] / 西郷輝彦
  (同名テレビドラマ主題歌/1973年)
ねがい / 西郷輝彦
  (『江戸を斬る』主題歌/1976年)
泣いてる場合じゃないんだよ / D-NA[ディーナ]
  (西郷輝彦さんと息子さんの辺見鑑孝[のりたか]さんのユニット/2004年)

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
4つ目のターニングポイント“還暦”のこと、
西郷輝彦さんの名言・好きな言葉はこちらをご覧ください。

2009年09月19日

639

9月19日は西郷輝彦さん登場!

「ドコモ団塊倶楽部」9月19日放送のゲストは
日本歌謡界の元祖“御三家”のお一人、歌手・俳優の西郷輝彦さん。

◇テーマは『元祖“御三家”で団塊の世代を虜に!
        西郷輝彦の人生を大きく変えた4つのターニングポイント!』 

 
橋幸夫さん、舟木一夫さんとともに<御三家>と呼ばれ、
日本が初めて生んだアイドルスターの一人となった
西郷輝彦さんの“波乱万丈の62年の人生”を大解剖します。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

◇メール・FAXのテーマ◇

< 人生の良きライバル >

 この人だけには負けたくない!
 スポーツ、勉強、出世、趣味…人生の様々な局面での
 あなたの良き「ライバル」を教えてください。

  西郷輝彦さんへの質問・メッセージ、番組の感想も大歓迎です。

メールのあて先は dankai@joqr.net

メッセージをお寄せいただいた方の中から抽選で5名様に
3千円分のミュージック・ギフトカードをプレゼントします。
必ずご連絡先をお書き添えください。たくさんのお便りをお待ちしています。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

◇放 送 内 容◇(予定)

「人生を変えたターニングポイント1“不思議な家出”」
 
 西鹿児島駅から神戸行きの急行に乗り込んだ
 15歳の時の「家出」・・・。
 
「人生を大きく変えたターニングポイントその2“御三家”」

 1964(昭和39)年、「君だけを」でデビューした西郷輝彦さんは
 「チャペルに続く白い道」「星空のあいつ」の大ヒットで一躍スターダムに。
 そして、橋幸夫さん、舟木一夫さんと3人で、
 日本歌謡界の<御三家>として活動し、一世を風靡!
 
「人生を変えたターニングポイント3“森繁久弥さん”」
 
 1973(昭和48)年にドラマ『どてらいやつ』に主演し
 <俳優>として大きなステップを作った西郷輝彦さん。
 その後も数々の作品に出演される中で、大きな刺激を受けた
 森繁久弥さんの“凄さ”とは?
 
「人生を変えたターニングポイント4“還暦”」
 
 弘兼憲史さんと同じ62才の西郷輝彦さん。
 “アラウンド還暦(アラ還)”・・・62才の居心地は?
 
「大好評!ゲストの皆さんの“好きな言葉”」
 
 西郷輝彦さんの好きな言葉は?
 
庶民文化研究家・町田忍さん登場「団塊ホームルーム」
 
 レトロアイテムは
 西郷輝彦さんの故郷「鹿児島」の『市電の写真』(1969年撮影)。

 京都に日本初の路面電車が誕生した明治28年(1895)以降、
 発達を遂げた路面電車は、
 一時は、全国100か所に拡大しましたが、
 現在では20ヶ所ほどしか残っていません。

 市電にはなぜ、ノスタルジーを感じるのか??

2009年09月12日

637

9月12日 町田忍コラム『懐かしの映画ポスター』

昭和35年における映画入者数は、11億2740万人。
ほぼ国民人口と同じだった。
この頃をピークに映画はテレビの普及で急激に減少する。

映画の宣伝には“ポスター”が利用された。

ここに紹介したのは、昭和30年代から40年代にかけてのもの。

”と書かれているのは、
まだ白黒映画も多かったからだろう。

当時、なんといっても人気があったのは時代劇で
ポスターにも往年のスターが登場している。

現在でも3本立ての名画座は頑張っている。

文字のみの派手なポスターは、浅草の銭湯に最近まで張られていたもの。

2009年09月12日

636

9月12日 石川真紀 放送後記

◆ゲスト:酒井政利さんの回◆

世の中には様々な職業がありますが、
プロデューサーというお仕事ほど
天から与えられた才覚が不可欠な職業はないのではないでしょうか。

酒井政利さんが手がけられた
南沙織さんや山口百恵さん、郷ひろみさんのようなスターは皆さん、
セルフプロデュース能力を兼ね備えていらっしゃるとのこと。
これはつまり、
周りの環境がどれだけ激変しようと
自分自身をしっかりと保ち、
物事を多角的に捉え続けたという
ひとつの成功の在り方なのかもしれません。

カウンセラーのお顔もお持ちの酒井さんとは
お会いしている間そのものが癒しと浄化の時間となり、
初対面から、僅か3時間足らずをご一緒して
お見送りする頃には、
生まれてからこれまでを見守ってくださっていたかのような
安心感で胸がいっぱいになっていました。

これからは、‘蓮の花’と‘葡萄’を目指して(!?)、
たおやかな女性になりたいと思います。


Un cahier de MAKI_178.jpg ぜひブログにもアクセスしてください。

2009年09月12日

635

9月12日 弘兼憲史 放送後記

◆ゲスト:酒井政利さんの回◆

プロデューサーという仕事か、どういうものか
今回の放送を通じてわかった気がします。

あまたいるタレントの中から
プロデュースするタレントを見つけて、
その人のコンプレックスを見つけて、
そのコンプレックスを“力”にする・・・。
“人を育てる”ということを学ばせてもらいました。

酒井さんは、本当に気配りのできる人当たりのいい人で
こういう人が“うまく人を育てる人”だと思いましたね。

郷ひろみさん、山口百恵さんなど
並みいる大物歌手を育ててきた人にしては
腰の低い、ものすごく礼儀正しい、素敵なナイスミドルだという気がしました。


弘兼語録
 
 ◆初めて買ったレコードは?

  モジュラーステレオという
  応接間に置くような、箱型のステレオが家にきて
  「ちゃんとしたクラシックを聴こう」ということで
  チャイコフスキーのバレエ組曲の『くるみ割り人形』のLPを
  姉と一緒に買いました。

  自分一人で買ったものでは
  宮城道雄さんの『春の海』という琴の曲を買った気がします。


 ◆コミック原作の映画化が増えたことについて

  漫画についた読者を確保できる、という考えで
  映画の業界が
  自分たちでオリジナルストーリーを作ることを怠っている気がします。
 

弘兼セレクション
 
  赤いハンカチ / 石原裕次郎(1962年)※映画は1964年

  弘兼 「裕次郎さんの映画が大好きで
       一番最初に観たのが『海の野郎どもの』(1957年)でしたけど
       きょうは、セリフ入りの裕次郎さんの曲を」

  帰郷 / 郷ひろみ(1977年)  

  弘兼 「これは40万枚も売れたんですけど、
       ピンク・レディーの『ウォンテッド』があったので
       オリコンランキングは2位にとまったんです。

       『お化けのロック』という曲と両A面で売られた曲です」

2009年09月12日

634

9月12日 酒井政利さんの名言

(歌手の歌声より
 バックミュージックが大きくなったのはいつ頃から?)

1980年代に“洋楽的”になってきたんです。
洋楽を“カッコいい”と思って、
(たとえば)中森明菜さんは自分の声よりサウンドを大きくして
格好をつけていて、評価をとっていたんです。

  もしかすると、声が枯れている…(のかもしれない)。
  サウンドが大きくて声が聴こえないんです。

サウンドが大き過ぎるのを、
彼女は“良し”としているんだと思うんです。

  編集でサウンドを大きくしてカッコよくしたつもり…
  ところが、流行歌はあくまで“歌”がメインですから
  そのへんの心得をちょっと間違えたかもしれません。

そして、年齢を経てくると、声が衰えてきますから
サウンドに負けがちなんです。

酒井政利さんの好きな言葉

    『花をで その根を想う』

昔、お坊さんに教えられた言葉なんですが・・・
この言葉は深いなぁ、と思って好きな言葉なんです。

  蓮の花とか、薔薇の花とか・・・、
  その根っこには、虫がうごめいていたり、
  泥がまつわりついている。

  それをくぐりぬけて清らかに咲いている…
  “女性の生き方”としては一番ピッタリな言葉ですよね。

凛として咲く・・・。
今、そういう女性は多いと思います。

  石川 「根がしっかりしていないと
       いいお花は咲かないということですね」

  弘兼 「“美しい花はミステリアス”っていうのは
       そういうことなんですね!」

“大輪の花”ほど、
言葉はきたないんですが、根はきたなかったりするということですね。

  石川 「お花を育ててみると
       ずっしり重たい椿や、花びらが大きいお花って
       根が長く育たないんですけど
       それでよく支えられるな、と思っていると
       “花期”は短かかったりするので…」

それを“お嬢さん”って言うんでしょうね。“温室”なんですね。

  弘兼 「ワインを作るブドウって
       1メートルくらいの高さなんですが
       根っこは水を求めて20メートルくらい地下に潜るんです。
       “土壌のニュアンス”を全部持って、ブドウに出すから
       いいブドウ(ワイン)ができる、っていいますよね。
       “根っこ勝負”なんですよね」

2009年09月12日

614

9月12日 ゲスト:酒井政利さん

テーマ:『70~80年代、伝説の音楽プロデューサー
         酒井政利が手塩にかけた
           4人のアイドル歌手とその舞台裏!』  

プロデューサーは
“タレント・俳優・アーティストの世話人”。
その役割とは
「気になってピックアップした人の弱点…
コンプレックスをプラスに変えて“伸ばす”こと」

 ゲストは、45年間のキャリアで
 手掛けたアーティスト600人超、
 世に送り出した曲8700曲、
 売上累計は実に3400億円という
 音楽プロデューサーの酒井政利さん。

 番組では、
 そのプロデューサー哲学に迫るべく
 70~80年代を駆け抜けた
 4人のアイドルを育てた舞台裏について
 たっぷりとお話を伺いました。 

南 沙織さんでアイドル路線を推し進めた真相は・・・?
“3人娘”のイメージは“陸・海・空”?! 天地真理さんはどれ??
郷ひろみさんは、今話題の○○の元祖だった?!
山口百恵さんの路線変更のワケは・・・?
 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
南沙織アイドル路線の狙い

酒井政利さんが「思い入れがあります」と、
その優しい口調で力強く語ったのが南 沙織さん。

“アイドル”という言葉がなかったあの頃、
辺見マリさん、奥村チヨさんなど、
大人の魅力あふれる女性歌手の活躍が目立った当時、
“アイドル路線”を推し進めたのは
レコードの購入層を、
小学校高学年~中学生にまで引き下げる狙いがありました。

酒井 「若い人に受ける流れを作りたかったんです。
     それが“アイドル路線”だったんです」

弘兼 「その頃、僕ら団塊世代の若い人の“ボリューム”が
     すごくあった時代ですよね」


「“声の旬”を持っている!」
初めて出会ったその日に即、デビューのGOサインを出した酒井政利さんは、
南沙織さんの第一印象を「知性を感じた」
「話す日本語もきれいで、今でいう“女子アナ”タイプ」
と語ります。

  南沙織さんのプロデュースには、作詞家・劇作家の寺山修司さんからの
  “添加物をつけない方がいい”“生のものを出すべき”
  というアドバイスが生かされました。

そして、アドバイス通り、南沙織さん自身の“生”の部分を活かし、
“成長の記録を追う”方針が固まったのです。

弘兼 「南さんはメイクを強くしなくても、ハッキリした顔立ちで
     そのままで清純なイメージが出てましたよね」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
“天然”の元祖!?アイドルの必須要素を備えた天地真理

弘兼 「本当に“こんなにかわいい人がいるのか”と思うくらい
     きれいでしたね」

酒井 「ちょっと ぼーっとしている、
     今でいう“天然”の元祖です、この人は。
     “アイドルの根っこ”に一番必要なものを持っていました。
     だから歌い方にも通じるわけです」

 天地真理さんはドラマ『時間ですよ』の
 オーディションに不合格になりながら
 森光子さんのプッシュで出演が決定。
 番組内で歌った『小さな私』を
 『水色の恋』に改題して
 デビューを果たします。

酒井 「それくらい、彼女がかわいかったんです。
    “ 空の上からニッコリ笑ってる”という顔なんです」

当時“3人娘”として人気を集めた
小柳ルミ子さん、南沙織さん、天地真理さんは、
イメージが対照的で、ファン層は“好みのタイプ”でハッキリ分かれ
その“競い合い”がさらなる盛り上がりを呼びました。

  ◆小柳ルミ子さん・・・大ヒット曲に『瀬戸の花嫁』があるように“陸”
  ◆南 沙織さん・・・沖縄からやってきた“海”
  ◆天地真理さん・・・“空”から舞い降りてきたようなイメージ

弘兼 「僕もやっぱり“天地真理派”だったかもしれませんね」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
明るい人にこそ似合う“哀愁”…郷ひろみ

西城秀樹さん、野口五郎さんと共に
「新御三家」として活躍した郷ひろみさん。

酒井政利さんは、初めて出会った時から、その“スター性”を感じていました。

  そして、オーディションでは・・・
  潮来笠[いたこがさ]を歌ったことにビックリ!
  さらに、声が人形劇『トッポ・ジージョ』(日本語吹替え=山崎唯さん)のようで
  二度ビックリ!

酒井 「“音色[おんしょく]”という言葉がありますが
     彼は“音圧[おんあつ]”を持っているんです。
     『ウォン!』と響くような、相手を責めるようなボリューム感を…」

郷ひろみさんの歌い方の特徴を
リズム感がよく、言葉を“突いていく”と表現する酒井さんは
新御三家の3人のイメージを次のように分けましたが…

 ◆西城秀樹さん・・・体育系
 ◆野口五郎さん・・・歌系
 ◆郷ひろみさん・・・ビジュアル系

 “ビジュアル系”では、どうしても飽きられてしまう!そこで・・・

酒井 「“言葉”を強く持っていきたい。
     だから“男の子女の子”とか、個性的な言葉を並べたんです。
     イケメンブームの始まりで、今でいう乙男[オトメン]の元祖です」

そして、南沙織さんプロデュース法と同様に
“見た通りの感じ”と“成長の過程を追う”ことをテーマに
作詞家に依頼して誕生した曲がデビュー作『男の子女の子』です。

 
  『よろしく哀愁』タイトル誕生秘話

  “哀愁”は合わない――と思われがちな郷ひろみさんですが
  酒井さんは“明るいキャラクターには暗い影が目立つ”という持論から
  “哀愁”こそ、郷ひろみさんにはピッタリなのだと感じていました。

  そして、死語に近い“哀愁”に新たに工夫を加え
  『よろしく哀愁』のタイトルが誕生しました。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
伝説の山口百恵に言葉はいらない?!

地味で何かひとつ足りないけれど、
森昌子さん、桜田淳子さんがいたからこそ
“トリオ”の一員に加わってデビュー出来た・・・

  これが“伝説の人”山口百恵さんのデビュー当時の評価?!

“暗い・歌手には向かない”と言われながらも、反対にその“暗さ”を生かし
社会派のフォークソングで歌手デビューをしますが、
これは失敗といわざるを得ない結果に…。

  そこで言葉を過激にすることで“強烈さ”を出す路線にシフトチェンジ!

酒井 「彼女は“石鹸”のような清潔感があったから
     言葉が過激でも“融和”するんじゃないか、と・・・」

『プレイボーイ』『平凡パンチ』の路線で行こう!
そして、その後の阿木燿子さん(作詞)の
“過激”ともいわれる路線へとつながった山口百恵さん。

  『プレイバックPart2』では・・・「曲が止まった?!」
  『美・サイレント 』では・・・「言葉がない?!」
  それまでになかった“女優的”手法の楽曲が話題となりました。

酒井 「日常の中にあるドラマを演じていけば
     親しまれ、過激さも受け入れられると思ったんです。
     彼女の“表現力”によって触発された企画でもあるんです」


 
21才の絶頂期での引退。
その後、一切、芸能界復帰の気配を感じさせない山口百恵さん。

石川 「ファイナル公演でマイクを舞台に置いて、
     向こうに去っていく“絵”をビジュアルとして、
     みんな覚えていると思うんですが…」

酒井 「彼女を“すごい”と思ったのは・・・
     「言葉」や「数字」などは“言語”ですが、
     彼女は“非言語能力”を持っていると思うんです。
     “表情・間”で強く訴えるものある。
     ステージでは(早い引退のため)多くは語っていませんが
     “表情”は残していっている・・・。
     そういうものが“伝説”にもつながったんだと思います」


阿久悠さん作詞の楽曲がないのはナゼ?

  “中三トリオ”の森昌子さん、桜田淳子さんは
  阿久悠さん作詞の作品を発表していますが
  山口百恵さんには、一曲もありません。そのワケは・・・?

酒井 「(二人と)“同色”になってしまうので
     意識的に阿久悠作品は外したんです。
     阿久さんが今もお元気で、百恵さんが現役でいたら
     お願いしたかもしれないですね」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
団塊ホームルーム

昭和レトロアイテムは『昭和30~40年代の映画ポスター』

1960(昭和35)年、入場者数11億2740万人を記録した映画業界。
当時、全国に7457もの映画館が立ち並び
巨大な手書きの看板が観客を出迎えていました。

そして映画館前に貼られていたのが
【上映中と上映予定の作品のポスター・写真】です。

今回の懐かしキーワード

 ・人気俳優・・・中でも石原裕次郎さん、美空ひばりさんが出演した
  作品のポスターは、今でも高値で取引されている。
 ・カラー作品のポスターにはの文字。
 ・理髪店に貼られたポスターを上映終了後に譲り受ける。(弘兼)
 ・当時、2本立て・3本立ての上映は当たり前。

弘兼 「学生時代、文芸坐(東京・池袋)に
     加山雄三さん作品のオールナイトを観に行きました」

町田 「飯田橋にギンレイホールがあって
     飯田橋の派出所に勤めていた時、よく道を聞かれました」

弘兼 「ビデオやDVDがなかったので
     好きな作品は何十回と映画館に通って観ましたね」

「松竹」に入社した経歴を持つように、映画好きの酒井政利さんが
印象に残っている作品は
『人間の壁』(1959年・山本薩夫監督)
『ひめゆりの塔』(1953年作品・今井正監督)

酒井 「戦争を背景にしているんですが、
     (自分が)10代で観て、よく理解できました」

※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
お送りした曲目

赤いハンカチ / 石原裕次郎
  (弘兼セレクション)
17才 / 南沙織
  (RN・シンシアさんが初めて買ったレコード)
ひとりじゃないの / 天地真理
  (酒井政利セレクション天地真理編その1)
恋する夏の日 / 天地真理
  (酒井政利セレクション天地真理編その2)
帰郷 / 郷ひろみ
  (弘兼セレクション)
男の子・女の子 / 郷ひろみ
  (RN・ケロヨンさんが初めて買ったレコード)
よろしく哀愁 / 郷ひろみ
  (酒井政利セレクション郷ひろみ編)
プレイバックPart2 / 山口百恵
  (酒井政利セレクション山口百恵編)
秋桜 / 山口百恵
  (この日の最多リクエスト曲)

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
酒井政利さんの名言・好きな言葉はこちらをご覧ください。

2009年09月12日

639

9月12日は酒井政利さん登場!

「ドコモ団塊倶楽部」9月12日放送のゲストは
“1枚のレコード”を通して 団塊の世代に大きな影響を与えた
音楽プロデューサーの酒井政利さん。

◇テーマは『70~80年代、伝説の音楽プロデューサー
        酒井政利が手塩にかけた4人のアイドル歌手とその舞台裏!』  

 
あの頃・・・酒井政利さんの仕事を通して
“音楽プロデューサー”の存在と
音楽の素晴らしさ&楽しさを知ることができました。

  そして、酒井さんなしには存在しなかった“百恵伝説”。

番組では酒井さんの「プロデューサー哲学」の真髄に迫ります。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

◇メール・FAXのテーマ◇

< あなたが生まれて初めて買ったレコード >

 あなたが、初めて買ったレコードは何ですか?
 なぜ そのレコードを買ったのか・・・という事情も教えてください。
 酒井政利さんへの質問・メッセージ、番組の感想も大歓迎です。

メールのあて先は dankai@joqr.net

メッセージをお寄せいただいた方の中から抽選で5名様に
3千円分のミュージック・ギフトカードをプレゼントします。
必ずご連絡先をお書き添えください。たくさんのお便りをお待ちしています。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

◇放 送 内 容◇(予定)

「スター作りの原点ともなった『17歳』」
 
 酒井政利さんにとっては“長女”のような存在
 南沙織さんが <スター作りの原点> というワケは?
 
「テレビドラマとの相乗効果もあって『水色の恋』が大ヒット!」
 
 ドラマ『時間ですよ』の劇中で『水色の恋』を歌った天地真理さん。
 酒井政利さんが考えたプロデュース戦略は・・・?
  
「オーディションで初めて耳にした『青いリンゴ』 」
 
 郷ひろみさんの声を聴いて連想したものとは・・・?
 
「デビューから引退まで・・・山口百恵さんの全曲をプロデュース 」
 
 山口百恵さんデビュー秘話!
 衝撃的だった“青い性”路線、“ツッパリ路線”の真実は・・・?
 
「大好評!ゲストの皆さんの“好きな言葉”」
 
 酒井政利さんの好きな言葉は??
 
庶民文化研究家・町田忍さん登場「団塊ホームルーム」
 
 レトロアイテムは『昭和30~40年代の映画ポスター』

 石原裕次郎&星由里子『忘れるものか』(日活)
 美空ひばり『べらんめえ探偵』(東映)
 橋幸夫&高峰秀子『月夜の渡り鳥』(松竹)

 懐かしの あの映画、この映画のポスターがスタジオに大集合!

2009年09月05日

637

9月5日 町田忍コラム『ザ・ビートルズの武道館公演チケット』

1966年6月29日
台風のために予定より遅れて午前3時39分に羽田到着したビートルズは
前後5台のパトカーに守られ、当時のヒルトンホテルに到着した。

当初、3回の予定のコンサートは5回となる。

  入場券は基本的には抽選(倍率は1000人のうち37人当選)。
  運良く私は当選し
  2100円だったチケットは約15000円のプレミアムがついた。


▲これが私が行った時のチケット / 6月30日 第1回目の公演 A席チケット
 
 
  もっとも、コンサートが始まっても
  前座(ブルー・コメッツ、ドリフターズほか)の演奏が長く、
  実際のところ、ビートルズの公演は約30分程度だった。

また、当時の音響設備も充実しておらず
そのうえ、ファンの大歓声でほとんど演奏は聴く事ができなかった。

警備には、警察官だけでも のべ約3万人が出動した。

※画像をクリックすると拡大します

2009年09月05日

636

9月5日 石川真紀 放送後記

◆ゲスト:湯川れい子さんの回◆

様々なコンサート会場で、
終演後などに
多くの方々とにこやかに談笑されているお姿を拝見するたび、
行動力と人望の厚さとに感服し、
また、他局のラジオ番組にご出演されているお声から
元気を受け取っていた私にとって、
憧れの湯川れい子さんのお話は
どれも興味深く、
またしても時間の経過が惜しいひとときでした。

オフマイクで、
「リスナーさんからの質問にこういったものがあります。」
とご相談すると、
「そういうことでしたら、このようなお話をしましょう。」
と快諾してくださるなど、
2時間の内容をご一緒に組み立てながら進めてくださった寛容さに
感謝の気持ちでいっぱいです。

50年以上、第一線で走り続けるということは、
常にお忙しい日々を送っていらっしゃることと承知の上で、
これからは、
ご自身が旅したい場所、したいことを優先されて、
「道楽~極道」へ歩んでいっていただきたいと願っています。
 
 
Un cahier de MAKI_178.jpg ぜひブログにもアクセスしてください。

2009年09月05日

635

9月5日 弘兼憲史 放送後記

◆ゲスト:湯川れい子さんの回◆

湯川れい子さんとは昔
日本テレビの『ザ・ワイド』という番組で ご一緒したことがあるんです。

僕はテレビから離れてしまいましたが
湯川さんも、17年間もラジオで
『全米トップ40』という番組をやられたくらい“ラジオの人”ですから・・・。

テレビの湯川さんは わりと政治に対してとか
いろんなことをおっしゃって“難しい”感じですが
きょうは本当に、ラジオに出られて、音楽のことを突き詰めてしゃべって、
非常に楽しそうでしたね。

相変わらずお美しいし、お元気で
これからも湯川さんのことを応援しています。

もともと、中学生の頃は湯川さんの大ファンで、
写真とかを切り取っていた、ということも ありました。

今になって会えるとは思いませんでした。うれしいです!
 
 
弘兼セレクション
 
  When I'm 64 / ザ・ビートルズ

  弘兼「『64才になっても僕を愛してくれるかい?』
       『電気が切れたらヒューズも直してあげるよ』という・・・
       “ヒューズを直す”というのが時代を感じますね(笑)

      「これは『ガープの世界』という映画の
       エンドタイトルにも流れていた曲です」

  黒い炎 / チェイス
  
  弘兼「ブラッド・スウェット&ティアーズとかチェイスとか
       ブラス・ロックがすごく流行った当時、
       チェイスの『Get It On/黒い炎』という曲が大ヒットしたんです」

2009年09月05日

634

9月5日 湯川れい子さんの名言

(スーパースターは早く亡くなっています・・・どういうことなんでしょう?)

私はなんとなく“選ばれた死”のような気もするし・・・
そんな中で共通していえるのは、今でいう“オーラがある”というか・・・。
つまり、それだけものすごく生命エネルギーが強い!

  それを出すことで、
  私たちには考えられないプレッシャー・・・
  ・・・ちゃんと眠ることもできない、外を自由に歩くこともできない
  いろんなプレッシャーの中で、
  そういうものをどうやって消化していこうか、という時に、
  それがおクスリになってしまったり、お酒になってしまったり・・・
  そのプレッシャーを誰にも相談できず
  自分でそれを発散していけないんです。

その“エネルギー”と“フォース”と“パワー”があったからこそ
スーパースターになった・・・。

  マネージャーとのせめぎ合いや、
  ビジネスにしようとする人とのせめぎ合いの中で
  疲れ果てて・・・。

エルヴィスの娘でマイケルと結婚したリサ・マリーはブログに
「ものすごいパワーとフォース」と(書いているんです)。

フォース・・・“気”ですよね。『スター・ウォーズ』のあのフォースです。

  『スター・ウォーズ』のヨーダのように
  沼に沈んだ宇宙船を持ち上げることもできるほどの
  すごいエネルギーを持っているわけですが
  それがいい方にいけばいいけれど、悪い方にいった場合は
  自分も破壊してしまうぐらいのすごい強さなんです。

スーパースターといわれる人に会って、いつも思うのは
となりに座っただけで熱いですね。

  

湯川れい子さんの好きな言葉

    『“道楽” ~道を極める~極道』

道楽って“道を楽しむ”んですが、
やがてそれが道を究めると「極道」になるんです。

  「極道」まではいけないと思うけど
  たとえば、エリック・クラプトンにしても、
  ローリング・ストーンズのキース・リチャーズにしても
  皆さん、道を究めていらっしゃいますよね。

“匠の世界”――私は一生、それを楽しんで
“ミーハー”のままでいけたらいいな・・・
道を楽しんで“道楽”でいけたら、と(思います)。


2009年09月05日

614

9月5日 ゲスト:湯川れい子さん

テーマ:『あの頃、団塊の世代が貪り読んだ
         海外大物アーチストのインタビューは
           み~んな湯川れい子さんだった!』  

 ゲストには、
 弘兼憲史さんが学生時代に憧れていた
 湯川れい子さんをお招きして
 “音楽評論家”としての活動の中から
 マイケル・ジャクソン、エルヴィス・プレスリー、
 ザ・ビートルズにまつわるエピソードを
 時間の許す限り、たっぷりと伺いました。

スタジオ中が強い感銘を受けた湯川れい子さんの“生涯の宝物”とは・・・?
 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
アメリカの黒人史を背負い 世界を熱狂させたマイケル

今年6月、死去のニュースが世界を駆け巡った…マイケル・ジャクソン

ジャクソン5のメジャーデビューは
黒人公民権運動家マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された翌年。

湯川れい子さんは、その後のマイケルのグループからの独立や
世界を目指した活躍などに、今のオバマ大統領にまで続く
広大なアメリカの黒人史が重ねて見える――と指摘します。

そして、フレッド・アステアをリスペクトするマイケルが
黒人特有の体の動きと音楽を融合し
やがて『ビリー・ジーン』『ビート・イット』『スリラー』が誕生。

湯川 「フレッド・アステア、チャーリー・チャップリン、
     ジェームス・ブラウン・・・と考えると
     マイケルのルーツがわかると思います」

    「彼は最後まで
     『自分のダンスは僕が作ったんじゃない。
      黒人のストリートダンスからきているんだ』
     って言っているんです」

石川 「ミュージックビデオというものを あれだけ魅せてくれたのも
     マイケル・ジャクソンさんが初めてなのかなと思いますね」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
エルヴィスの登場が世界を変えた!

ジョン・レノンをして「彼がいなかったらビートルズもいなかった」
というほど、世界に大きな影響を与えたエルヴィス・プレスリー

エルヴィスは、その登場と時を同じくして世に広まった
“新しいメディア”「テレビ」と共にスターの道を駆け上がりました。

 湯川
 「エルヴィスが出てきたのは
  テレビが初めて出来た時で、
  あのルックス、あの若さ、
  あのかわいらしさ、あの純粋さで歌ったから
  ロックンロールは爆発したと思います」


子供の頃の体験から体に染みつき、終生リスペクトした黒人音楽・・・
とくに教会音楽がバックボーンとなって“あのロックンロール”が誕生。

湯川 「私から見ると、本当に黒人と白人の壁を
    最初に超えたのはエルヴィスなんです」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
甘く“やわらかい”生涯の宝物

“みかんの房の皮を剥いたようなやわらかさ”
湯川れい子さんがこのように例えたのは、エルヴィスのくちびる

  15年もの長きにわたって、
  エルヴィスの活躍を日本で伝えていた湯川れい子さんは、
  初めて会う機会を得ると“ご褒美のチュー”をリクエスト。

 “ホッペにチュー”だと思っていたら
  思いがけず
 くちびると くちびるがふれあって・・・
 
 湯川
 「ご挨拶のチューのような
  ふわっとしたチューをしてもらったんです。
  3回会って、2回 してもらってます」


また、湯川さんは、ラスベガスでご結婚され、
エルヴィスに結婚の証人を務めてもらったのだそうですが、そこでも・・・

湯川 「『何が欲しい?』と聞かれて
     『チューが欲しい』と、結婚した相手の目の前で、
     ちゃんと唇にキスをしてもらいました」

    「バカバカしいと言われるかもしれないけど
     私にとっては“生涯の宝物”ですね」

弘兼 「その記憶は絶対消えないですね」
石川 「忘れられないですよねぇ」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
いまだに“新しい”ビートルズ!

自由で 明るくて 楽しい ビートルズ ワールド
“ドラムとビートと一緒にユサユサ揺れるリンゴ・スターの髪”
湯川れい子さんの心は震え・・・

湯川 「『みんな、カモン カモン!おいでよ!
     一緒に楽しもうよ!』というような世界でしたね」

 
また、湯川れい子さんが「本当に驚いた」と振り返ったのが
『エレナー・リグビー』

湯川 「“この寂しい老人たちはいったいどこから来たの?”
     “夜中に靴下を繕う神父さん”
     こういうものがヒット曲のテーマになるんだ!って」

 
    「そういう意味で、文化的、文革的、哲学的・・・
    いろいろな側面をもった楽曲を書いてくれた。
    いまだに発見がありますね」

弘兼 「“違う世界”にいって…
     プログレッシブというか、本当に僕らは
     “あの新しさにやられる”って感じでずっと聴いていました」

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
団塊ホームルーム

昭和レトロアイテムは『ビートルズ 武道館公演のチケット』

日本中が熱狂した1966年のザ・ビートルズ日本公演
そのチケットは、一般窓口での販売は行われず、
主催者、協賛各社に申し込む抽選形式となりました。

  当時、高校1年生だった町田忍さんは見事抽選を突破し
  武道館公演(初日)のプラチナチケットを入手!

料金は2100円でした。(※ほかの席種は1800円と1500円)

町田 「今の1万円・・・プレミアムがついて今の5万円6万円です」

湯川 「(演奏時間は)たった35分でしたけど、それでも満足しましたよね」

弘兼 「僕は大学に入った年で、
     千駄ヶ谷の そば屋さんでテレビ中継を見ました」

●主な話題

 ・初めてロックコンサートを開催した日本武道館は音響が悪かった。
 ・女性客の「キャーー!!」という歓声がすさまじかった!
 ・通路を埋めつくすように配備された警察官。
  立ち上がって歓声を上げる観客に・・・「座って聴け!」
 ・ビートルズに会いたい!と宿舎の近くにやってきた子供たちが
  毎日600人ほど補導された。
 ・当時、エレキやロックを聴くことは“不良”と言われた・・・。


この時、ビートルズのメンバーに話を聞いている湯川れい子さんは、
4枚の写真を撮影。うち3枚はメンバーの写真で、残る1枚は・・・
「その頃、かわいかった!」というリンゴ・スターと一緒に写るショット。
ポール・マッカートニーがシャッターを押した(!)という意味でも
たいへん貴重で、豪華で、贅沢な1枚です。


湯川 「ビートルズがデビューした1964年は東京オリンピックの年、
     (海外からリアルタイムで)日本に入ってきたのは
     ビートルズからなんです。
     いわば、日本でのロックンロール革命だったと思う」

※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
お送りした曲目

When I'm 64 / ザ・ビートルズ
  (弘兼セレクション)
ベンのテーマ / マイケル・ジャクソン
  (湯川れい子セレクション)
ラバーネッキン(REMIX ver.) / エルヴィス・プレスリー
  (湯川れい子セレクション)
黒い炎 / チェイス
  (弘兼セレクション)
好きにならずにいられない / エルヴィス・プレスリー
  (リスナーの皆さんからのリクエスト)
ビコーズ / ザ・ビートルズ
  (湯川れい子セレクション)

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
湯川れい子さんの名言・好きな言葉はこちらをご覧ください。

2009年09月05日