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9月5日 ゲスト:湯川れい子さん
■テーマ:『あの頃、団塊の世代が貪り読んだ
海外大物アーチストのインタビューは
み~んな湯川れい子さんだった!』
ゲストには、
弘兼憲史さんが学生時代に憧れていた
湯川れい子さんをお招きして
“音楽評論家”としての活動の中から
マイケル・ジャクソン、エルヴィス・プレスリー、
ザ・ビートルズにまつわるエピソードを
時間の許す限り、たっぷりと伺いました。
スタジオ中が強い感銘を受けた湯川れい子さんの“生涯の宝物”とは・・・?
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■アメリカの黒人史を背負い 世界を熱狂させたマイケル
今年6月、死去のニュースが世界を駆け巡った…マイケル・ジャクソン。
ジャクソン5のメジャーデビューは
黒人公民権運動家マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された翌年。
湯川れい子さんは、その後のマイケルのグループからの独立や
世界を目指した活躍などに、今のオバマ大統領にまで続く
広大なアメリカの黒人史が重ねて見える――と指摘します。
そして、フレッド・アステアをリスペクトするマイケルが
黒人特有の体の動きと音楽を融合し
やがて『ビリー・ジーン』『ビート・イット』『スリラー』が誕生。
湯川 「フレッド・アステア、チャーリー・チャップリン、
ジェームス・ブラウン・・・と考えると
マイケルのルーツがわかると思います」
「彼は最後まで
『自分のダンスは僕が作ったんじゃない。
黒人のストリートダンスからきているんだ』
って言っているんです」
石川 「ミュージックビデオというものを あれだけ魅せてくれたのも
マイケル・ジャクソンさんが初めてなのかなと思いますね」
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■エルヴィスの登場が世界を変えた!
ジョン・レノンをして「彼がいなかったらビートルズもいなかった」
というほど、世界に大きな影響を与えたエルヴィス・プレスリー。
エルヴィスは、その登場と時を同じくして世に広まった
“新しいメディア”「テレビ」と共にスターの道を駆け上がりました。
湯川
「エルヴィスが出てきたのは
テレビが初めて出来た時で、
あのルックス、あの若さ、
あのかわいらしさ、あの純粋さで歌ったから
ロックンロールは爆発したと思います」
子供の頃の体験から体に染みつき、終生リスペクトした黒人音楽・・・
とくに教会音楽がバックボーンとなって“あのロックンロール”が誕生。
湯川 「私から見ると、本当に黒人と白人の壁を
最初に超えたのはエルヴィスなんです」
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■甘く“やわらかい”生涯の宝物
“みかんの房の皮を剥いたようなやわらかさ”
湯川れい子さんがこのように例えたのは、エルヴィスのくちびる。
15年もの長きにわたって、
エルヴィスの活躍を日本で伝えていた湯川れい子さんは、
初めて会う機会を得ると“ご褒美のチュー”をリクエスト。
“ホッペにチュー”だと思っていたら
思いがけず
くちびると くちびるがふれあって・・・
湯川
「ご挨拶のチューのような
ふわっとしたチューをしてもらったんです。
3回会って、2回 してもらってます」
また、湯川さんは、ラスベガスでご結婚され、
エルヴィスに結婚の証人を務めてもらったのだそうですが、そこでも・・・
湯川 「『何が欲しい?』と聞かれて
『チューが欲しい』と、結婚した相手の目の前で、
ちゃんと唇にキスをしてもらいました」
「バカバカしいと言われるかもしれないけど
私にとっては“生涯の宝物”ですね」
弘兼 「その記憶は絶対消えないですね」
石川 「忘れられないですよねぇ」
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■いまだに“新しい”ビートルズ!
自由で 明るくて 楽しい ビートルズ ワールド。
“ドラムとビートと一緒にユサユサ揺れるリンゴ・スターの髪”に
湯川れい子さんの心は震え・・・
湯川 「『みんな、カモン カモン!おいでよ!
一緒に楽しもうよ!』というような世界でしたね」
また、湯川れい子さんが「本当に驚いた」と振り返ったのが
『エレナー・リグビー』。
湯川 「“この寂しい老人たちはいったいどこから来たの?”
“夜中に靴下を繕う神父さん”
こういうものがヒット曲のテーマになるんだ!って」
「そういう意味で、文化的、文革的、哲学的・・・
いろいろな側面をもった楽曲を書いてくれた。
いまだに発見がありますね」
弘兼 「“違う世界”にいって…
プログレッシブというか、本当に僕らは
“あの新しさにやられる”って感じでずっと聴いていました」
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■団塊ホームルーム
昭和レトロアイテムは『ビートルズ 武道館公演のチケット』
日本中が熱狂した1966年のザ・ビートルズ日本公演。
そのチケットは、一般窓口での販売は行われず、
主催者、協賛各社に申し込む抽選形式となりました。
当時、高校1年生だった町田忍さんは見事抽選を突破し
武道館公演(初日)のプラチナチケットを入手!
料金は2100円でした。(※ほかの席種は1800円と1500円)
町田 「今の1万円・・・プレミアムがついて今の5万円6万円です」
湯川 「(演奏時間は)たった35分でしたけど、それでも満足しましたよね」
弘兼 「僕は大学に入った年で、
千駄ヶ谷の そば屋さんでテレビ中継を見ました」
●主な話題
・初めてロックコンサートを開催した日本武道館は音響が悪かった。
・女性客の「キャーー!!」という歓声がすさまじかった!
・通路を埋めつくすように配備された警察官。
立ち上がって歓声を上げる観客に・・・「座って聴け!」
・ビートルズに会いたい!と宿舎の近くにやってきた子供たちが
毎日600人ほど補導された。
・当時、エレキやロックを聴くことは“不良”と言われた・・・。
この時、ビートルズのメンバーに話を聞いている湯川れい子さんは、
4枚の写真を撮影。うち3枚はメンバーの写真で、残る1枚は・・・
「その頃、かわいかった!」というリンゴ・スターと一緒に写るショット。
ポール・マッカートニーがシャッターを押した(!)という意味でも
たいへん貴重で、豪華で、贅沢な1枚です。
湯川 「ビートルズがデビューした1964年は東京オリンピックの年、
(海外からリアルタイムで)日本に入ってきたのは
ビートルズからなんです。
いわば、日本でのロックンロール革命だったと思う」
※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。
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■お送りした曲目
◇When I'm 64 / ザ・ビートルズ
(弘兼セレクション)
◇ベンのテーマ / マイケル・ジャクソン
(湯川れい子セレクション)
◇ラバーネッキン(REMIX ver.) / エルヴィス・プレスリー
(湯川れい子セレクション)
◇黒い炎 / チェイス
(弘兼セレクション)
◇好きにならずにいられない / エルヴィス・プレスリー
(リスナーの皆さんからのリクエスト)
◇ビコーズ / ザ・ビートルズ
(湯川れい子セレクション)
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湯川れい子さんの名言・好きな言葉はこちらをご覧ください。