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8月1日は鳥越俊太郎さん登場!※
「ドコモ団塊倶楽部」8月1日放送のゲストは
ジャーナリストの鳥越俊太郎さん。
テーマは
『ニュースの職人”鳥越俊太郎、
ジャーナリスト・スピリッツの原点と壮絶!ガン闘病』
今年で69才・鳥越俊太郎さんの
ジャーナリストとしてのルーツに迫ります。
※文化放送と新潟放送をお聴きの方は生放送で、
信越放送と山梨放送をお聴きの方は
8月2日 日曜日の放送でお楽しみください
◇放 送 内 容◇(予定)
「ドコモ団塊倶楽部」8月1日放送のゲストは
ジャーナリストの鳥越俊太郎さん。
テーマは
『ニュースの職人”鳥越俊太郎、
ジャーナリスト・スピリッツの原点と壮絶!ガン闘病』
今年で69才・鳥越俊太郎さんの
ジャーナリストとしてのルーツに迫ります。
※文化放送と新潟放送をお聴きの方は生放送で、
信越放送と山梨放送をお聴きの方は
8月2日 日曜日の放送でお楽しみください
◇放 送 内 容◇(予定)
元高見山関が来日したのは、東京オリンピックの年(1964年)。
まさしくこの年、日本人の海外旅行が自由化された年でもありました。
当時、ハワイに旅行する――ということは現在とは事情が違いました。
参考まで、初の海外パック旅行「ジャルパック」が登場した
1965年1月の新聞広告で、料金を見ると
「ハワイ9日」が378000円となっています。
これを現在の値段にすると約10倍という高額な料金となります。
ちなみに私が「憧れのハワイ」に
初めて行ったのは1975年のことでした。
戦後初の海外ロケをした映画『ハワイの夜』(1953年公開)は
鶴田浩二と岸恵子のラブロマンスストーリーで
ハワイ旅行がまだ夢の時代の時でした。
(画像をクリックすると拡大します)
母方のおばあちゃんっこだった私は、
祖母の好きな高見山さんの取り組みを
テレビ観戦するのが年中行事でした。
実際にお会いしてみて
大きな体から放たれる人懐っこさが瞬時にわかり、
19歳で来日され、異国の厳しい世界で
地道に成功を勝ち取られた所以が
納得できた気がしています。
きっと、心の強さこそが、肉体をさらに強くし、
勝負強ささえも齎してくれるのでしょう。
「手を合わせてみてもよろしいですか?」と、
引き寄せられるようにお願いした私の一言。
ニコニコ笑顔で、応じてくださいました。
私の手は高見山さんの手のひらほど。
大きくて温かな手でお別れ際に握手してくださったその力強さ、
忘れません。
時間を見つけては、気さくに話しかけてくださる高見山さんが
「石川さん、秋田出身なんですか。ウチの部屋にも居ますよ。」
と教えてくださった
華王錦関、
これからしっかり応援させていただきます。
この近さで ああいうデカい人と接して
本当に圧倒されました。
すごく性格のいい人だな、という気ががしますね。
その後、出てこられた小錦さん、武蔵丸さんとか・・・ちょっと怖い・・・
近づきにくいところがありますけど
高見山さんは、その点“バリアが少ない”人だと思いました。
本当に今日は楽しくやれました。
相撲ファンです!
■弘兼セレクション
ハワイアン・ウェディングソング (映画『ブルー・ハワイ』から)
弘兼「ハワイということで
『ブルーハワイ』というエルヴィス・プレスリー主演の映画の中で
カウアイ島のシダの洞窟のシーンで歌う
この歌が大好きなんです」
南国の夜 / 日野てる子
弘兼「厳密にはハワイの曲ではないんですけど
きょうはハワイムードということで」
(今の力士へのアドバイス)
もっと夢を持って頑張らないとだめ。
とにかく稽古量をもっと増やして、
みんな目標を持って、夢を持って頑張ってほしい。
(この先、一番やってみたいことは?)
旅行です。
これまでの旅行は長くて4泊、部屋があって弟子もいるから
どうしてもゆっくりできないです。
大きい夢は船に乗るクルーズをしたい。
(半年くらい?)半年は長いね。
1か月くらい行ってみたいね。
■渡辺大五郎さんの好きな言葉
『Go For Broke(442)』
“442”は日系人の部隊です。
当時は4000人くらいいたけど、
今はみんな年を取っちゃって一番若くて83才くらいかな。
“当たって砕けろ”です。
※442部隊…ハワイに住む日系人だけで組織されたアメリカ軍部隊で
『Go For Broke』は442部隊の“合言葉”
※現役時代、化粧回しにも盛り込まれた言葉
番組の中でもお聴きいただいた
『ジェシー・ザ・スーパーマン』(高見山大五郎&S.P.S.シンガーズ )の
ジャケット写真を公開!
■テーマ:『涙は心の汗!戦後初の外国出身力士
“元関脇・高見山”の辛抱と努力の相撲人生』
19才の時にで来日。
戦後初の外国出身力士“高見山”の四股名で
幕内通算出場(1430回)幕内連続出場(1231回)
幕内在位(97場所)で歴代一位の記録を打ち立てたほか
土俵の外でも多くのCMに出演して人気を博した渡辺大五郎さん。
現役引退後は、外国出身力士として
初めて親方になり
横綱 曙、高見盛ら5人の関取を育て
先月、日本相撲協会を
停年退職されました。
元関脇 高見山、前 東関親方、ジェシーの愛称で親しまれた
渡辺大五郎さんに現役20年、親方25年の
波乱万丈の土俵人生を振り返っていただきました。
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■アメフトから相撲へ
相撲を始めたきっかけはハワイでの高校時代に参加していた
アメリカン・フットボールの“強化策”としてすすめられたこと。
当初は遊び半分の気持ちでしたが
大会には、サトウキビや醤油、
ラジオなどたくさんの賞品があり
お母さんに喜んでもらおうと
頑張ったそうです。
ちなみに、アメフトをしていた高校時代、
体重はすでに130キロあったのだとか。(現役時代は205kg)
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■菅野詩朗アナウンサーが“親方”の現役時代を語る
渡辺大五郎さんがゲストということで、
スタジオには“親方”の現役時代を取材している
文化放送スポーツ部の菅野詩朗アナウンサーも登場。
“親方”の現役時代と今との違いで
何度も飛び出したキーワードが“今の稽古量の少なさ”。
また、菅野さんは当時の支度部屋のピリピリした雰囲気、
取材陣に対して話をしてくれない、という様子をご紹介。
菅野 「国民的アイドル力士といっていい人気力士でしたが
支度部屋、朝稽古では“寄りつけない感じ”でした。
ただ取り組もが終わるといつもの
(親しみのある)表情に戻るんです」
弘兼「テレビを見ると“怖い感じ”がしましたよね。
だから布団のCMではギャップがあって、
ものすごい親しみを持ちました」
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■今よみがえる あの熱戦
文化放送が所持している貴重な音源の中から
高見山関の名勝負の実況の模様をお聴きいただきました。
◆◇昭和48年秋場所◇◆ 輪島(内がけ)高見山
菅野 「よく大熱戦を展開していた横綱輪島関は
親方との一番では“立ち合いの圧力”を嫌がっていた…
という話を聞いていました」
◆◇昭和55年秋場所◇◆ 高見山(小手投げ)貴ノ花
大相撲史上に残る名勝負は、一度は貴ノ花に軍配が上がりましたが
貴ノ花の髷が先に土俵についていたとして行事差し違いで高見山の勝ち
菅野 「すごい投げの打ち合いで
小手投げとすくい投げの打ち合いだったんです。
貴ノ花は“股裂き”のよう(な体勢)になりながらも
踏ん張って倒れないんです。
だから親方が“小手(投げ)”で決めようと…
大相撲ファンには忘れられない、
“相撲といえばこの一番”と印象的です」
弘兼「僕も聴いていて思い出しましたよ」
渡辺 「貴ノ花は体は小さいけど足腰がすごかったです。
がっぷり四つになると、ものすご重く感じるんです」
◆◇昭和59年5月場所千秋楽◇◆ 玉竜(突き落とし)高見山
現役最後、1654回目の土俵。
数多くの熱戦を繰り広げた貴ノ花関に関して
「思い出がいっぱいある」と語る親方、
“昭和43年の札幌巡業”と“いつ・どこで”ということまで
はっきり覚えていまして、
当時、前頭筆頭の親方が、新十両になって初めて巡業に参加した
貴ノ花関との稽古で 十番のうち二番しか勝てなかったという
エピソードを紹介してくださいました。
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■“涙”じゃない…これは“汗”です
悔しさの中で ついこぼれた涙を“汗”と言い張った
高見山関の有名な有名なエピソードについて
当時の様子を伺いました。
ある日の朝稽古。
見学のお客さんが大勢いた中での最後のぶつかり稽古で
兄弟子から「もう一番、もう一番」と20番以上も
稽古をつけられた高見山関の目からは悔し涙がこぼれました。
「おいジェシー、泣いてるのか?」
渡辺 「お客さんもいるし本当のことは言えない。
“汗です”と答えたら、その後 有名になりましたね」
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■団塊ホームルーム
渡辺大五郎さんをお迎えしたこの日のレトロアイテムは…
・“ジャルパック”1965年1月の新聞広告
料金は“ハワイ9日”でなんと378,000円
当時、大卒初任給が約2万円の時代。
今の貨幣価値に換算すると“10倍”の約400万円!
弘兼「外国に行く時、みんなが餞別を渡してましたもんね」
・映画『ハワイの夜』(1950年/昭和25年)のパネル
戦後初めて海外ロケを敢行した映画で
出演は鶴田浩二さん、岸恵子さん…(ほか)
町田 「日本の映画スタッフがハワイに行って
ロケをするのは当時たいへんなことでした」
マウイの夕焼けがキレイ、ステーキが大きい、
レストランは暗く、火を照明代わりにしてムードたっぷり…など
ハワイトークで盛り上がるスタジオ、
『スパリゾートハワイアンズ』(旧 常磐ハワイアンセンター)の
話題になると、町田さんが『スパリゾートハワイアンズ』の
資料館の監修を手掛けている新事実が判明。
弘兼「いろんなことやってますね」
※この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。
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■お送りした曲目
◇(BGM)ジェシー・ザ・スーパーマン /
高見山大五郎&S.P.S.シンガーズ
(演奏)リッキー&1,960ポンド
◇ハワイアン・ウェディングソング(弘兼セレクション)
◇ここに幸あり / 大津美子
高校時代、コーラス部に入っていた渡辺大五郎さんが
4年生の時に歌った思い出の一曲。
◇南国の夜 / 日野てる子(弘兼セレクション)
◇荒野の七人
映画(とりわけ西部劇)が大好きで、
ジョン・ウェインのファンという渡辺大五郎さん。
「西部劇は何でも好き」ということでしたがこの曲をセレクト。
今回紹介したのは、手作り飛行機。
かつて町の文房具屋とか駄菓子屋にて販売されていたもので、
竹ひごで翼などをつくり紙を貼る、結構高度なものだった。
昭和30年代は、
翼の先のカーブした竹ひごはロウソクの火であぶり
自作していたが、ここに紹介したものはそれ以降で、
すでにカーブはつけてある。
プロペラはゴム動力で回る。
パーソナリティーの弘兼さんは
この手作り飛行機大会で優勝したという。
その他、広告紙などで折って紙飛行機も飛ばした。
まだ、あちこちに広場や原っぱがあったのんびりとした時代だった。
(画像をクリックすると拡大します)
2006年4月以来、2度目のご出演となった谷村新司さん。
今回も、
ラジオ愛と大爆笑に満ちた、あっという間のひとときでした。
お知らせの間も色々なお話をしてくださっていた中で、
「サービス精神が旺盛、かつ、いつも笑顔で温和な谷村さんは、
どのように疲れを癒していらっしゃるんですか?」
という私の質問に、
谷村さんはこうお答えになりました。
「僕、体力的にキツイことはあっても、疲れないんです。
サービス精神は、ラジオの基本。
映像がない分、
音声だけで伝わるように努めることもサービス精神だし、
出演者が複数存在する場合、
聴いている人が置いてきぼりにならないように
心がけることもそうなんです」
谷村さんが仰るように、
これからのラジオは、必要以上に打ち合わせをせず、
勢いとカンを大切に取り組んでいくことで
新たな道筋が出来ていくのかもしれません。
再始動されたアリスLIVEツアーのご成功をお祈りしつつ、
これからも純喫茶のマスターとして、
上質の語りを届け続けてくださること、期待しております。
谷村さんとは個人的にも長い付き合いで、
きょう聞いてビックリしたのは
お嬢さんが作曲の仕事をされて、一緒に活動されているようですが
お嬢さんがちっちゃい頃、
僕が山口県(出身)なので フグのセットをお贈りしたら
「フグありがとう。来年も楽しみにしています」
と絵入りのお手紙が届いて・・・(笑)
すごいかわいかった、あのお譲ちゃんが
今は作曲家かと感慨深いものがあります。
(谷村新司さんは)
ある意味、僕と同じダジャレオヤジみたいなところがあるんですけど
でも、谷村さん(お得意)の、
笑わせておいて最後にしんみりさせる・・・みたいな構成に、
やっぱりきょうもなったな、と・・・。
なかなかさすがだな、という感じがいたしました。
■弘兼セレクション
Up, Up and Away(ビートでジャンプ) / フィフス・ディメンション
弘兼「(団塊ホームルームのコーナーの題材が)
“飛行機”ということで。航空会社のCMで使われた
フィフス・ディメンションの『Up, Up and Away』を。
町田 「僕は『(ボーイング)727』の歌が出るかと思った」
弘兼「橋幸夫のね!
あ、そうか!それにすればよかったか!(笑)」
※『そこは青い空だった』(橋幸夫、吉永小百合)
22歳 / 谷村新司
弘兼「谷村さんは こういうキャラクターなんですけど
作品はものすごくメローな感じの
“谷村ワールド”があるわけです。
私も多少その傾向がありますけど…
石川 「そうですよね!」
弘兼「メローな谷村ワールドですごい好きな曲です」
■谷村新司さんの好きな言葉
『山川異域 風月同天』
(画像をクリックすると拡大します)
どんなに離れ離れになって、バラバラになっても
同じ月を見て、同じ風を感じて
あなたのことを忘れませんよ、ということです。
だって「何人
上を向けば、同じ月を見てる、同じ風を感じてる・・・
という想いを書かせていただきました。
石川 「『階
同じようなメッセ―ジが書かれていて、
とっても好きなセリフがありました。
“どこの国の人間”という考えが
意味を持たない――ということが
心にしみました。
それは自分の想いをある人のセリフとして
語らせているんです。
アジアを周ってると、地続きじゃないですか。
自由に行きかっているのが“人”だから
ここから線を引いて
「こっちの人は何人…」というのは無理。
そういうことを超えた感覚で人が接する
そんな時代に入っていかなくっちゃ、って
いつも思います。
音楽は、いとも簡単にそれができるんです。
一瞬で越えるんですよ。
人のからだにダイレクトに入っていきますから
音楽につつまれると、
みんな優しい顔になってます。
■テーマ:『28年振りの全国ツアー再開
“アリス”2009還暦復活への熱き想い!』
『ドコモ団塊倶楽部』には
2006年4月以来、
二度目のご登場となる谷村新司さんがゲスト。
再始動となるアリスのこと、
そして、今年で40周年を迎える
伝説の深夜放送『セイ!ヤング』についても
じっくりお話を伺いました。
放送では『セイ!ヤング』での あの名調子、
エレガントな語り口で展開される…下ネタ(!)
さらには懐かしのハガキ読みを
再現していただきスタジオは爆笑の連続!
そして谷村新司さんが語るラジオの魅力とは…?
「ドコモ団塊倶楽部」7月18日放送のゲストは
“アリス”の谷村新司さん。
テーマは
『28年振りの全国ツァー再開
“アリス”2009 還暦復活への熱き想い!』
1981年のアリス活動休止以降、3度の再始動を挟んで
今年7月、アリス28年ぶりの全国ツアーを行う
谷村新司さんに「アリス再始動」のお話と、
今年、40周年を迎えた伝説の深夜放送
『セイ!ヤング』についてもじっくりお話を伺います。
◇放 送 内 容◇(予定)
昭和30年代、町のあちこちに駄菓子屋さんがありました。
今回はそんんな駄菓子屋さんで売っていた、
主に女子向きのオモチャを紹介します。
ガラスの「おはじき」は当時の廃瓶などの再利用で、
とくに大きなものは大切にされていました。
「塗り絵」は当時流行していた目のパッチリした
「きいち」風や「中原淳一」風のお洒落なもの、
男子向きのものなど色々ありました。
その他、クジあてものであたった腕時計、
人形等を作ったモールなども人気がありました。
サングラスのレンズ上は女性の体が向き合ったデザイン(ドイツ製)
(画像をクリックすると拡大します)
包み込むような歌声、
ご家族の支え、
その場の雰囲気を一変させる駄洒落・・・。
構成する要素の全てが
秋元順子さんという人物を形成していることを感じる2時間でした。
企業にお勤めになったり、フラワーショップを経営されたりしながら、
大好きな歌をお続けになり、
妻として母親として歩まれてきたその先に、
大舞台での称賛が待ち受けているなんて、
巡り合せの妙に感じ入ります。
「どんなことも、1人では成し得なかった」と語る、
秋元順子さん。
バックアップされている多くの方々への感謝と、
出逢いの大切さ、
放送を終えた今、かみしめています。
(エンディングより)
母親が秋元順子さんの大ファンで
僕の姉は、秋元さんに顔が似ていまして
母親はたぶん“娘”を見るような目で(秋元さんを)見てるんじゃないかな。
秋元さんがテレビに出られた時に
みんなで「うちの姉に似てる!」って言ったんです。
(放送終了後)
きょう、お姉ちゃんに会って嬉しく放送させていただきました。
同い年ということで、いろんなことに対する感覚が
たぶん近いということもありますし、
オヤジギャグ連発で、思っていたイメージとは違いました。
最初『愛のままで…』のときは
ものすごくシットりした方なのかなと思ってたら…
あんなに明るい方だとは思いませんでした。
でもおかげで楽しく2時間過ごさせていただきました。
石川 「上海帰りのところ、お疲れ様でした。
きょう これから帰って執筆ですね?」
大変ですよ、これから。
3日でカラー○○ページ・・・
・・・そんなこと(ここで)言ってもしょうがないですけど。
石川 「“ワインバー”で“ジュンコ”さんという
“チャイナドレス”を着た女性が出てくるかもしれないですね?」
出さないといけないですね(笑)
■弘兼セレクション
ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー / 越路吹雪
弘兼「ぜひ秋元さんに歌ってほしい」
ドミノ / ドリス・デイ
秋元さんがお好きな歌手のお一人、
ドリス・デイの曲の中から、弘兼さんが大好きな曲。
秋元順子さんは、スタンダードの勉強をする際、
「シンプルに歌う人の曲を聴いて覚えましょう」と教えられ
ドリス・デイについて次のように語っています。
秋元 「ドリス・デイ、ナット・キング・コール、フランク・シナトラ…
この人たちの曲を聴くと、一番素直に覚えられるので
思い出深い人です」
この春のコンサートツアーでは
ドリス・デイの「センチメンタル・ジャーニー」から
ステージをスタートさせています。
「人生後半」とよく言いますが、
ある方に教えていただいたことがあるんです。
50才までに、事業とか夢とか“やりたいこと”が終わる方もいますよね。
でも、もしも希望が終わらない場合は
「50才がスタートなんですよ」って言われたんです。
私がまさに「そうかな!」と思って、さきほどの
(「団塊リポート」にご登場の49才でマラソンを始められた)
飯田さんもそうですよね。
ですから、この言葉ってすごいなぁ!って思いました。
■秋元順子さんの好きな言葉
『出逢いを大切に』
今現在あるのも『マディソン郡の恋』を作られた星桂三先生、
そして星先生から
花岡先生ご兄弟を紹介していただいて今がある、
ということで・・・出会いを大切に!
それ以前からも、私は長い人生ですから
たくさんの人と出逢いがあって
それが 大きく 大きく!大きく!! 膨らんでいったな
ということを実感しています。
(色紙にピンクのハートマークを書き添えていただきました)
私はいつも“ハート”をモチーフにしていますので・・・
“はぁっと”したでしょ?
※秋元順子さん初のエッセイ
『愛のままで…』人生の四季をめぐる23の物語(23曲分の歌詞とメロ譜付) は
青志社から1,680円で発売中です
(画像をクリックすると拡大します)
■テーマ:『諦めなければきっと夢は叶う!
“歌謡界のオールド・ルーキー”秋元順子からの熱きメッセージ!』
ゲストは、弘兼憲史さんとは同級生コンビとなる
歌手の秋元順子さん。
「昨日“上海帰りのリル”なんですけど、私…(苦笑)」
上海への取材から帰ったばかりの弘兼憲史さんの
こんな発言も、本番前の打ち合わせからダジャレを連発する
秋元順子さんに影響をうけたもの。
この日の放送では
『マディソン郡の恋』でメジャーデビュー
2008年には『愛のままで…』が大ヒット、
紅白歌合戦に史上最高齢での
初出場を果たされ
“歌謡界のオールドルーキー”
“中高年の星”“団塊の星”と称される
秋元順子さんに、激動の歌手人生を
振り返っていただきました。
____________________________
■大ブレイクは“あらゆるタイミングが一致”したおかげ
秋元順子さんに大ブレイクをどのように捉えていらっしゃるのか伺うと
秋元 「時代が求めているものに偶然に遭遇したということでしょう」
“歌手・秋元順子”を見つけ、応援し、
大勢に聴いてもらうために広めてくださった
多くの人の力が一つになった時期が重なった――
と振り返っていらっしゃいました。
____________________________
■『マディソン郡の橋』が歌に、そして漫画に!
たった4日間の恋を描いた 映画
『マディソン郡の橋』をモチーフにした
大人の恋物語…『マディソン郡の恋』。
秋元 「『マディソン郡の恋』は“さらり”と
歌ったことがよかったのかもしれません」
『マディソン郡の橋』は弘兼憲史さんにとっても縁の深い作品でした。
弘兼「僕もあの映画に触発されて
『黄昏流星群』を描いたんです。
中高年の真剣な愛を漫画にしてみようかなと思ったんです」
____________________________
■『愛のままで…』をよりうまく歌うために
カラオケでも大人気の『愛のままで…』をもっとうまく歌いたい!
という女性(とりわけ 石川真紀ぴょん?)のために
アドバイスをいただきました。
愛を歌っているので
最初から最後まで全体にやさしく歌うことを意識してください。
ポイントとなる盛り上がる部分では、自分の感情を込めましょう。
サビの前から想いを込め、大きく歌っていって サビで盛り上げる!
そのあとは流れるように歌っていけばOK!!
また歌詞に“あなた”が多く出てきますが
強く“あなた”と歌うのではなく、
たとえば、お隣にいるご主人を想いながら…
やわらかく、やさしく歌うといいそうです。
石川 「このアドバイスをもとに、皆さん歌いましょう!」
弘兼「(『津軽海峡・冬景色』に続く)石川真紀の歌・第二弾
『愛のままで…』(いつか)いきましょうね」
____________________________
■新曲『黄昏 Love again』
7月8日に発売されたばかりの新曲『黄昏 Love again』について伺いました。
歌詞を見て、まさに自分が体験してきていることが書かれている…
と感じたという秋元さん。
秋元 「一つの歌の中に、出会いと別れ、
そしてその先の“希望”まで表現している
寂しげな歌詞があるにもかかわらず
“リズミカル”なので大好きになったんです」
●秋元順子さんの最新情報
◆湯沢フィールド音楽祭2009
日程:7月19日(日)
会場:加山キャプテンコーストスキー場(新潟県湯沢町)
◆美空ひばりの夕べ(美空ひばりさんの本『ひばり伝』出版記念イベント)
日程:7月20日(月・祝)
会場:椿山荘 プラザ棟5階 オリオン
◆秋元順子 CONCERT TOUR 2009・秋 ~愛する人のために~
9月4日(ロサンゼルス)を皮切りに日本国内各地をツアー
・11月15日(日) 松戸森のホール(千葉)
・11月17日(火) 府中の森芸術劇場(東京)
お問い合わせ:ザ・カンパニー
03-3479-2245
秋元順子さんのオフィシャルサイトもご覧ください。
秋元 「9月に出る3rdアルバムを中心に、私の違ったジャンルも含めて
皆さんに楽しんでいただけるように、と思っております」
弘兼 「あとダジャレトークも」
秋元 「近くで言っても“トオク”といいますから」
____________________________
■団塊ホームルーム
レトロアイテムは、町田さんが駄菓子屋さんでよく買った
“ぬり絵”“おはじき”“モール”。
スタジオに持ち込まれた“ぬり絵”は
中原淳一さんや内藤ルネさんの作風の影響を受けています。
また、秋元順子さんによると、
“色鉛筆かクレヨンか、どちらを使うかで時代がわかる”とのこと。
“モール”に関しては秋元さんが詳しく
秋元 「折り曲げたり切ったり、
鉛筆に巻きつけて“らせん状”のものを作るんです」
“おはじき”は廃瓶を砕いてリサイクルしたもの。
大きいものは、当時、珍しく なかなか持てなかったそうです。
(おはじき遊びには使いづらかった)
この大きなおはじきは、ブローチ、アクセサリーとしても
通用するのでは? という話題になって・・・
石川 「秋元さんのきょうのファッションに合いそうです」
秋元 「ありがとうございます。いただいても?」
町田 「差し上げます!」
弘兼「おはじきを加工してつけると“新しい”かもしれませんね」
(右)おはじきをアクセサリーに
ところで、話は変わって・・・この日の町田忍さんの目もとに注目。
フレームの上部が、女性が横になって 裸で向き合っているメガネが
話題になると、ここでも秋元ワールドに。
秋元 「度が入ってるんですか? これ、“どう”ですか??」
「こういうメガネに“目がねぇ”」
秋元さんが こうした話術を身につけたのは
落語と浪曲が好きだったお父さんの影響によるもので、
ラジオから流れる落語・浪曲は子守唄代わり、
小学生の時には「もう 寄席は よせ!」と父親を喜ばせたとか。
秋元さんのコンサートのトークで、会場が爆笑の渦に包まれるのも納得!
秋元 「(落語・浪曲で育った子どもの頃から)培われましたね~」
※ぬり絵、おはじきについては町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。
町田さんのメガネも公開中!
____________________________
■団塊リポート
砂漠の中を200キロ!
“世界で最も過酷なマラソン”といわれる『サハラマラソン』を
今年4月、72才の最高齢で走破した飯田徳子さんに
電話ではなくスタジオにお越しいただきお話しを伺いました。
食料や装備を自ら調達、
そして自分で“持って”
砂漠を走るという『サハラマラソン』。
その距離は200キロ以上で、
通常7日間かけて走るところを
今年は大雨の影響で、距離は変わらず、
期間を5日間に短縮(3/30~4/3)。
そのコースとは・・・
飯田 「砂漠というと砂浜をイメージしますが
砂丘、砂丘…、岩山、岩山…、山登りです。
マラソンというより“サバイバルレース”だと思います」
気温は、今年は“涼しく”最高42度。
反対に夜は10度以下となるため
装備にはセーター、ウィンドブレーカーも必要となるのだそうです。
72才でありながら完走することができる飯田さん、
さぞや華やかなスポーツ歴を誇っていらっしゃるのかと思ったら…
走り始めたのは49才で
その前はスポーツをほとんどしていなかったそうです。
小学校の教員をされていた頃、同僚の方に誘われてマラソンを始め、
初レースで苦しい思いをしたことに「なぜ?」と疑問に感じ
のめりこんでいったのだとか。
フルマラソン出走はすでに100回ほどで
目標タイムは4時間を切ること(記録は4時間2分)。
そして57才の時に、制限時間13時間の
100キロマラソン(ウルトラマラソン)に初チャレンジ、
自分のペースで走れることで、ウルトラマラソンに夢中になりました。
その後、献血で肝炎であることがわかり
大きなショックを受けますが、それも一時的なもの。
飯田 「落ち込んでいられない。よし!それと対決しよう!
と思って、サバイバルレースにのめりこんだんです」
弘兼「精神力ですね。僕に一番欠けてるものですね」
●スタジオにはサハラマラソンで使用した装備の一部をお持ちいただきました。
○シューズ…
メッシュのシューズにはお手製・砂除けのカバー(外さなくても靴が脱げる)
○食料…
荷物を最小限に抑えるため、軽くてカロリーのあるもの。
朝朝は…乾燥した非常食のご飯、粉末味噌汁、サラミソーセージ
行動食…アメリカの災害時用の非常食、ミックスナッツ
夕食は…めざし、乾パン、カップラーメン
飯田 「ふたを取って、半分は硬いままかじり
残り半分はお水を入れて、ふやかして食べるんです。
お湯を使うと燃料が必要で 重くなるんです」
○そのほか…ライト(夜間走行する際に使うヘッドランプ)ホイッスル、鏡
(左)靴の中は砂だらけに…そこでカバーをつけます(中) 食料のカップ麺(右)
(左)真っ暗な夜に…ライト (中)装備一式を並べました (右)名誉の盾!
とにかく元気いっぱいの飯田さんにスタジオは圧倒されっぱなし。
また、来年の大会にも参加されるそうですので
番組も注目したいと思います。
秋元 「私も“遅咲き”と言われますが、力をいただきました」
(画像はいずれもクリックすると拡大します)
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■上海が舞台の『社長島耕作』に注目!
前日まで取材で訪れていた上海では、
地上101階、高さ492mの上海環球金融中心の91階に泊まった弘兼さん。
弘兼「怖いを通り越して飛行機(に乗っている)みたいで
あの高さになると『どうにでもなれ』という感じです」
今後『モーニング』連載中の『社長島耕作』で
今回の上海取材をもとにしたストーリーが展開されるそうですが…
どうやらこの日、ご紹介したキーワードが漫画になりそうですよ。
秋元 「ワインバーが出てくる?」
弘兼「じゃあ、それ(ワインバー)も描きます」
秋元 「チャイナドレスの似合う人・・・『ジュンコ』とか…」
弘兼「いいですね!描きましょう。
名前も『ジュンコ』で」
少し先の『モーニング』の連載にどうぞご注目を!!
8月8日の放送から
「ドコモ団塊倶楽部」 12時台冒頭のコーナー「団塊リポート」の中で
ラジオをお聴きいただいているリスナーの皆さんに
どんどんご参加していただく新企画がスタートしました。
題しまして「ドコモ団塊倶楽部 大人の作文」
事前に発表する“テーマ”に沿った
皆さんの声・想い・叫びを 文章に綴ってご応募ください。
お寄せいただいた“作文”を番組の中でご紹介してまいります。
※採用させていただいた方には、
文化放送オリジナルグッズをプレゼントいたします。
※必ず、郵便番号・住所・氏名・電話番号を
また、よろしければ ご年齢 を明記してください。
※応募はハガキ、FAX、メールのいずれかでお願いします。
○・・・ハガキの宛て先
〒105-8002 文化放送「ドコモ団塊倶楽部」大人の作文 係
○・・・FAX 03-5403-1151
○・・・メール dankai@joqr.net
◇◆ 募集テーマ ◆◇
■ 将来のささやかな夢――その計画
■ 私のプチ自慢
■ 妻へのラブレター/夫へのラブレター
※ご応募いただく作文のテーマは
いずれかひとつでけっこうです。
(複数のテーマでご応募いただいてもけっこうです)
※随時、新しいテーマをご案内してまいります。
たくさんのご応募をお待ちしています!
「ドコモ団塊倶楽部」7月11日放送のゲストは歌手の秋元順子さん。
テーマは
『諦めなければきっと夢は叶う!
“歌謡界のオールド・ルーキー”秋元順子からの熱きメッセージ!』
2008年1月発売のシングル「愛のままで…」が話題を呼び、
年末にはレコード大賞優秀作品賞を受賞、
そして史上最高齢で紅白歌合戦に初出場を果たすなど
今や“団塊の星”を超えて“中高年の星”という言葉がピッタリの
秋元順子さんをお迎えして遅咲きの「歌手人生」に迫ります。
◇放 送 内 容◇(予定)
戦前より、少年漫画は月刊誌が基本だったが、
昭和34年3月に「少年マガジン」
翌月4月に「少年サンデー」が発売されて、
たちまち少年たちの愛読漫画の王座を獲得した。
当時は約300万部近くという記録的な発行部数だった。
ここに紹介した「少年マガジン」は昭和37年刊、
「少年サンデー」は昭和39年刊で
サンデーには
「オバケのQ太郎」「おそ松くん」「伊賀の影丸」「サブマリン707」
他が登場していた。
ともに表紙はこのころ戦記ものが一番多かった。
数ヶ月前の番組企画会議にて。
せっかく弘兼憲史さんにパーソナリティを
お務めいただいているのですから、
手塚治虫さん生誕80周年スペシャルをしましょう。
では、どんな番組にしましょうか?となり、
弘兼さんにご相談したところ、
「安孫子先生(藤子不二雄Aさんのご本名)に
お願いしましょう!」
と、トントン拍子に進み、
藤子不二雄Aさんにも
「弘兼氏の番組なら!」とご快諾いただいて
今日の放送を迎えました。
お2人のご親交、信頼関係ゆえ、不安は皆無。
手塚さんへの敬愛と漫画史、
藤子不二雄Aさんと弘兼さんそれぞれの
漫画観が凝縮された2時間となりました。
漫画家さん、作家さん、先生という方々には、
作品を通じてだけ社会と接する方、
作品に関わることのみ社交性を発揮する方、
そして、作品に直接関わらなくても
社交的に振舞われる方、など、
いくつかタイプがあって、
おそらく、藤子不二雄Aさんと弘兼さんは、
ご自身も認めていらしたとおり
社交的なタイプに相当するのでしょう。
藤子不二雄Aさんと弘兼さんに
お描きいただいた色紙。
番組のお宝にさせていただきます。
そして、次にお会いする際にはまた、
アビちゃんと呼ばせてください。
※藤子不二雄Aさんの「A」の正しい表記は ○にA です
藤子さん・・・
僕らは「アビちゃん」と
呼ばせていただいているんですが
本当に話はうまいし、オチがあるし、
おかしいんです。
ところが きょうはお酒が入ってないんで、
そのおかしさの
何分の一も出ていないぐらいなんですが
話は本当に面白くて、
きょうは楽しく過ごさせていただきました。
漫画にはいろんなかたちがあるんですが、
ストーリー漫画界の中で
藤子先生といえば“頂点”なんです。
さいとう・たかを先生もいらっしゃるんですが
藤子さんの方がちょっと年齢が上なので
「21世紀のコミック作家の著作権を考える会」などの
理事を歴任されていて
ついこの間も、旭日小綬章を受章されるなど
最高の賞をこの業界でいただかれたので
本当に尊敬に値する先生なんですが、
あのように親しいんで・・・。
石川真紀ちゃんが今度お酒をご一緒するときに
頭をパチン!と叩けるくらいの雰囲気があります。
ただ、顔の右半分が
“愛のつば”だらけになるのを覚悟した方が…。
(スタッフ)またいつかお呼びしたいですね。
とってもいい雰囲気でしたね。
面白かったですよね。
とってもいい雰囲気でした。
■藤子不二雄Aさんの好きな言葉
『一夜あければ すべて夢 人生 なにも かわりなし』
いやなことがあっても、ひと晩寝たら かわりない
という生き方をしたら楽だろう、と思って。
僕はわりと(いやなことを)引っぱる方なんで・・・。
忘れた方が楽ですね。
こういうことを言葉を作ったということは
いろんなことを貯めこむタイプだから
この言葉を言えば気が楽になる・・・
マイナスよりもプラス思考でいた方がいいじゃないか、
「まぁいいか」ということなんです。
※藤子不二雄Aさんの「A」の正しい表記は ○にA です
■テーマ:『手塚先生に憧れ、藤子・F・不二雄さんと二人三脚!
そして今、一人で歩む まんが道55年に侮いなし!!
~ 手塚治生誕80年企画 ~ 』
この日のゲストは、
弘兼さんが25才の時、1974年にビッグコミックに応募した
初めての“ストーリー漫画”でデビュー作でもある
「風薫る」の審査を担当されたという縁のある
藤子不二雄A(安孫子素雄)さん。
普段から親しく、お酒が進むと「アビちゃん」と呼んでいるとか。
(安孫子さんは「弘兼氏」と呼んでいます)
今回の放送は、共に尊敬する
手塚治虫さんが去年11月に
生誕80周年を迎えられたことから
『手塚治虫生誕80年企画』として
手塚さんの足跡を振り返るとともに
藤子不二雄Aさんの
55年に及ぶ漫画家人生に迫りました。
弘兼さんが持っているのは「団塊リポート」でご紹介した栃尾てまり。
レポート後半では「ドコモ団塊倶楽部」だからこそ実現した
漫画界の巨匠による夢の合作色紙を大公開しています!
※藤子不二雄Aさんの「A」の正しい表記は ○にA です
~ ドコモ団塊倶楽部 手塚治虫さんスペシャル放送記念
映画「MW」全国特別ご鑑賞券プレゼントのお知らせ ~
日本が誇る漫画界の神・手塚治虫の
‘禁断の傑作’との呼び声高い「MW ― ムウ ―」。
そのスケールとテーマの衝撃性がゆえに、
映像化不可能と言われてきた本作が、
遂に手塚治虫さん生誕80周年である今年、
圧倒的映像迫力と緊張感溢れる派手なアクション、
これ以上ないキャスティングでスクリーンに登場!
2009年夏必見のサスペンス・エンターテインメント超大作、
7月4日(土) 丸の内ルーブル他にて、全国ロードショーです。
なお、この映画はPG-12 =12歳未満(小学生以下)の
鑑賞には成人保護者の同伴が適当と指定されています。
映画「MW ― ムウ ―」の全国特別ご鑑賞券を、
ドコモ団塊倶楽部をお聴きの皆さんの中から、
抽選で5組10名様にプレゼントします。
応募受け付けは終了しました。
このチケットは、全国の「ムウ」上映劇場にて、
ロードショー期間中、ご利用いただけます。
ご希望の方は、おところ、お名前、年齢、電話番号と、
番組の感想をご記入の上、
メール、FAX、ハガキでお申し込みください。
○メールアドレス dankai@joqr.net
○FAX番号 03-5403-1151
○ハガキの宛先
〒105-8002 文化放送「ドコモ団塊倶楽部」
映画『MW ― ムウ ―』チケットプレゼント」の係
当選者の発表は、
賞品の発送をもってかえさせていただきます。
お寄せいただいた個人情報は、
賞品の発送目的にのみ使用致します。
たくさんのご応募、お待ちしています。
応募受け付けは終了しました。
たくさんのご応募ありがとうございました。
インターネットをもっと便利に、
そして皆さんの豊かな暮らしに貢献する「gooマスターズ」のサイトで
2009年7月から 2011年3月まで連載された
「ドコモ団塊倶楽部スペシャルコラム」をご覧いただけます。
「ドコモ団塊倶楽部」ホームページとあわせてお楽しみください。