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6月13日 ゲスト:中村メイコさん

テーマ:『女優生活73年!元祖天才子役・中村メイコが今、明かす
 “七色の声伝説”の舞台裏』

 6月13日のドコモ団塊倶楽部は
 ゲストに喜劇女優としてのキャリア
 実に73年!中村メイコさんを
 お迎えしました。
 
 話題は、元祖天才子役時代、
 “七色の声伝説”の裏側、
 親友・美空ひばりさんとの
 エピソードなどなど……
 スタジオは爆笑に次ぐ爆笑!!

そして、メイコさんから弘兼憲史さんへと伝授された(?)
ギャグとは??
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スタジオで七色の声劇場!

14~5才の頃に出演したラジオ番組「おねえさんといっしょ」で
おばあさんや男の子など、さまざまな役の声を一人でこなした
中村メイコさん。 その“七色の声”が誕生したきっかけは
戦時中の人形遊びでした。

中村 母がお人形を作ってくれるんですけど
    戦争中で、だんだん きれいな色の[きれ]とか毛糸が
    なくなって、男ばっかりになってきたんです。

そうして、お父さん役や
八百屋さんの御用聞きのお兄さん役など、多くの男性役も含め
一人で様々な役柄をこなして遊んだことが
“七色の声”誕生につながったのです。

弘兼 昔はおもちゃとか与えられたものが
    なかったから、いろいろ工夫したんですよね。

この日は、スタジオで
「中村メイコさんの七色の声劇場」を再現していただきました。

  お題は・・・「無題」。
  台本なしの完全アドリブ、即興で演じてくださいました。

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♪♪私のお家はね~ 大人がいっぱいいるんだよ~

マミちゃん、どこ行くの?
散歩。
おばさんみたいだな。

ター君、悩んでることある?
サッカーが盛り上がらなくてな。
こないだのウズベだってさ…。

ウズベキスタン?
お前、えれぇよ!何でそんなこと言えるの?
マミちゃんのママの方のおじいちゃんがうるさくて
「言葉というのは略さず言えよ。覚えてから略すのはいいけど」
なんて言うんだもん。

あ、向こうからヤなヤツ来たよ。

ちょっとお待ち!どこ行くの、あんたら?
おばちゃん、百円サービスのスーパーの帰りやねん。


(“七色の声”をアドリブで)

うちのママの方のママ、バァバの子守歌って
美空ひばりだったりジャズだったり…
そういうのでお守りされてたから こうなっちゃったの。
バァバのお母さんが言うんだって

「一緒になった旦那が
『日本の子守歌はセンチメンタルでよくない』って、マサツネが言うのよ。
だからママは『ピーナッツベンダー』とかで
あんたを育てたのよ」

って言うんだってさ、おかしいね!(終わり)

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“おばちゃん”が(なぜか)使う関西弁もお上手でしたが・・・
これは、戦時中、疎開先の奈良県の学校で影響を受けたもの。

(先生)「にぃ 足す にぃは ナンボ?」 
(生徒)「しぃー!」

中村 私が「[]って言うと
    みんなの口が開いてる時に口が閉じてるから
    『中村さん、答えてません』って言うんです。
    こりゃ悔しいと思って、
    あくる日から「しぃー」 って言ってました。
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「田舎のバス」誕生秘話

『間の言葉が面白い』と
「弘兼セレクション」の2曲目に選んだのは「田舎のバス」

この歌の原点は、舞台の公演で訪れた名古屋のデパートの
エレベーターガールさんだった!!

最初は東京のデパートと同じように
「三階にまいります。三階は・・・・・」と言っていたのに
知人がエレベーターに乗り込んだとたん
「あんた、なんぎゃぃ行くの?三ぎゃぁかね?
 歩いた方が早いがね!次は四階でございます」

中村 この“変わり身”が面白くて、
    『こういうのをやりたい』って言ったんです。

また、曲に登場する表情豊かな“牛”の鳴き声には
楽器を使っていますが、これを演奏していたのは
クレイジー・キャッツ結成前の植木等さん。

弘兼 きょう初めて知りました!
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メイコさんが語る“ひばり伝説”

ご夫妻で11作の楽曲を提供された、
親友・美空ひばりさんとのエピソードを伺いました。

○楽譜をあまり読めない ひばりさんは、
 一度 歌を聴くだけで、バッチリ歌えるようになる!
○英語の“歌詞”の発音が上手なひばりさん、
 楽譜にはカタカナと独自の記号を書いていた!
 (しかし上手なのは歌詞だけ?!)
○財布を持たない人生――
 タクシー料金も「つけといて」
 証拠を求めたドライバーに「柔」をアカペラで披露すると
 タクシー代はタダになった!
○メイコさん、神津善行さんご夫妻のお宅に泊まる際
 「どこに寝る?」と聞くと・・・「ひばりは“センター”!」
 「寝苦しかったぞ」とは神津善行さんの弁です。


「ひばりは“センター”」に爆笑の二人
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中村メイコの喜劇論

「喜劇を演じられれば本物の役者」というお父さんの指導により
中村メイコさんは2歳半の銀幕デビュー作
「江戸っ子健ちゃん」から喜劇の道を進まれました。

中村 練習に練習を重ねたように見えてもつまらない。
    でも実は、ちゃんとした台本通りに
    リハーサルしなきゃ面白くない。

喜劇役者の皆さんが集まる稽古の現場は、
さぞや笑いの溢れる楽しい雰囲気なのかと思ったら大間違い!

中村 不機嫌です、みんな。
    お客様がいなくて のらないですから。

喜劇を志す人(特に男性)に、寡黙で愛想の悪い人が多いのは
きっと皆さん、笑わせることを一生懸命考えているから。

弘兼 僕らの業界でもギャグ漫画家の人の方がおとなしいです。
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団塊ホームルーム

レトロアイテムは懐かしの「ラジオ」(写真と実物)。

町田 コードを持ってないと電波状態が悪いんです。

写真のラジオは、昭和28年に中古で購入した
町田家初代ラジオの真空管ラジオ。
この日は、写真でのご紹介でしたが、
今でも町田家に大切に保存されています・・・が
町田 コンセントを入れたら臭い匂いがして…怖いんです。

  懐かしのラジオも70代の中村メイコさんにとっては
  「かなり新しい」部類に入るのだそうで・・・

中村 (それ以前には)かまぼこ型の屋根のようなものがあって…
   「こどもニュース」では
   「よい子の皆さん、ラジオの前にいらっしゃい」
    という言葉が枕ことばだったんです。

当時のラジオは動かずに鎮座しているもの、
しかもタンスの上にあるため、見上げるような形となり
「行儀よく聴いた」ものでした。


誕生日は1日違いのメイコさんと町田忍さん

もう1点、スタジオに持参いただいたのは
1966年購入のトランジスターラジオ。

町田 これでラジオは個人のものになりました。
中村 ラジオがついて来てくれる時代になったんですよね。

弘兼 1965~6年の頃「大学受験講座」があって
    ソニーの高性能のランジスターラジオを親に買ってもらって、
    (家は)山口県でしたけど、文化放送を聴いてたんです。
    「受験のため」というのは言い訳で
    夜中に語りかけるような女性パーソナリティーのラジオを
    「俺だけに言ってるんだ」って聴いてました。

中村 恥ずかしながら、その頃、
    「トランジスターグラマー」って言われてました。

弘兼 体が小さいのにグラマーという…
     石川真紀さんは「トランジスターグラマー」ですよね。

※この話題については町田忍さんのコラムをご覧ください。
 各写真も掲載しています。

※弘兼憲史さんの、新たなレパートリーに加わった
 ギャグについては名言コーナーをご覧ください。

2009年06月13日