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5月23日 ゲスト:加藤登紀子さん
■テーマ:「ひとり寝の子守唄 獄中結婚 百万本のバラ…
おときさんは いっつも団塊のマドンナだった!」
ゲストに歌手の加藤 登紀子さんを
お招きして、戦後の東京の街で
“楽しく”過ごした幼少時代、
ご主人・藤本敏夫さんとの出会い、
そして大ヒット曲
「ひとり寝の子守唄」
「知床旅情」に隠された秘話や、
鴨川の大自然の中で
取り組まれている
“農的生活”などについて伺いました。
そして加藤登紀子さんが教えてくれた「愛の伝え方」とは・・・?
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■焼け跡の東京は、空がスカッと明るかった…(※)
終戦から2年、加藤さん一家は空襲の爪痕が残る東京へ引っ越してきました。
加藤「扉なんかは閉めてない、、、
親は子供の面倒をみる余裕がなかった時代でした」
大人は生きるために必死になっていた時代も
子供にとっては楽しかったのだそうです。
“とこちゃん”と呼ばれていた当時の楽しい思い出は・・・?
加藤「思い出深いのは 停電!」
ろうそくの火で「あぶりだし」をしたり、
カルメ焼きを作ってもらったり、
何より“親がそばにいてくれて、相手になってくれる”停電は
子供にとっては最高のイベントだったようです。
加藤「停電になると みんなが一つの部屋に集まるんです」
時がたって、加藤登紀子さんが、子育てをするようになると
キャンプファイヤー代わり”に一本のろうそくの炎を囲む…
ということをされてきたそうです。
弘兼「たしかに家族が一つになるんですね」
(※)加藤登紀子さん著『土にいのちの花咲かそ』(サンマーク出版)より
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■意外?!“ひとり寝”“知床”誕生秘話
加藤登紀子さんのヒット曲「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」の
陰には、後にご主人となる藤本敏夫さんの存在がありました。
激しい学生運動が展開されていた
1968年――。
東京大学に在籍しながら すでに
プロ歌手だった加藤登紀子さんは
学生運動の指導者だった
藤本敏夫さんと出会います。
藤本さんは10・21新宿闘争後、翌年6月までの8ヶ月間、
拘置所に入りますが、そこからもらった手紙には…
~拘置所のトイレをあけるとねずみが顔を出し楽しい~
ここから「天井のねずみが歌ってくれるだろう」という歌詞が誕生。
そして翌1969年に発表された「ひとり寝の子守唄」は大ヒット、
日本レコード大賞歌唱賞を受賞することになります。
「さびしすぎる」――出所した雨の夜、
新宿の酒場で加藤登紀子さんと再会を果たした際、
「ひとり寝の子守唄」を歌ってもらった藤本さんの感想です。
弘兼「照れくさかったのかもしれませんね」
加藤「照れ屋ということもあって自分の気持ちを
開けっぴろげに喋る人じゃないんです。
なんとなく屈折してる感じがあってドキドキしながら喋ってました」
また、68年に、初めて二人だけで会った晩に
藤本さんが歌った自身の愛唱歌が「知床旅情」。
加藤「照れ屋といいながらも、最初に会った晩に歌ってくれて
『なかなかやるもんだなぁ』と思います」
加藤登紀子さんは1971年、この曲で再び日本レコード大賞歌唱賞を受賞します。
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■面会の女性に「ムカムカ!」
「鳥肌が立ってきました」…加藤登紀子さんがこう語ったのは
獄中の藤本さんへの「面会・差入れ」のエピソードをお話されていた時。
「藤本さんはもてたのでは?」という質問に
「大変でした…」と語り始めた加藤登紀子さん。
面会は「一日一人」に限られていたため
同じ日にすでに面会者がいれば、藤本さんには会うことができません。
休みの日などに朝早く起きて面会に行くと…“いつも会いに来る女性”と
すれ違うことに!!
加藤「休みじゃない日は彼女が会いに行ってるんだと思うと
すごいムカムカしました」
この女性の正体は…学生運動の救援対策としての
「差入れ担当者」だったようですが、それだけではなかった??
石川「恋心があったかも・・・」
加藤「あったと思います」
弘兼「“あったかも”じゃなく絶対ありました」
「ムカムカした」とはいうものの差入れに関して
藤本さんから“要求”がある時は、すべて加藤登紀子さんに対して。
このことにより藤本さんの“気持ちを確かめる”ことができたのだそうです。
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■農的生活のススメ
加藤登紀子さんは2002年、亡くなられたご主人から「鴨川自然王国」を
引き継ぎました。
「鴨川自然王国」…多目的農業の実践の場で
無農薬や有機栽培の農作物を作る野菜畑、
有精卵を産み落とすニワトリランド、ミカン畑や水田、
ヤギ牧場などがある。
「農業は“命の根幹”にあるもの」
「“農業をやっていればとりあえずメシが食える!”という基礎作りが必要」
と語る加藤登紀子さん。
ここでは、里山での農的な生活を楽しむための方法を学ぶ教室
「里山帰農塾」を展開し、近年は若い人が大勢参加。
2003年から参加し、この鴨川の地で自給生活の農業を目指している
ある若い男性は、加藤登紀子さんの次女で歌手の八重さんとご結婚。
農場の後継ぎになったのだそうです。
「鴨川自然王国」のウェブサイトはこちらです。
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■加藤登紀子さん最新情報
◆ニューアルバム:「薔薇と恋のうた」
以前発表された3枚のカバーアルバム(シャンソン2、日本のポップス1)の
ベストセレクションが今年4月に発売されました。
加藤登紀子さんのこだわりは「自分の詩」。
加藤「詩だけは自分の詩で歌いたい!と
訳を自分で作ることにこだわってきたんです」
「借り物の言葉だと自分の歌にならないんです。
それと、シャンソンは日本に入ったのが古いから
古くさい訳詩がついているんです。文語体だったり。
シャンソンはリアルにいろんなことを表現している歌なので、
本当のニュアンスを分かってほしいと思って
自分の詩にこだわったんです」
◆コンサート:『TOKIKO KATO Concert 2009』
(関東地区のみ)
6月13日(土)桐生市民文化会館シルクホール(18時開演)
7月11日(土)Bunkamuraオーチャードホール(18時開演)
7月18日(土)川口リリア(17時半開演)
※7月11日の公演に関するお問い合わせは
トキコプランニング までどうぞ。
03 - 3352 - 3875(平日の日中にお問い合わせください)
加藤登紀子さんのオフィシャルウェブサイトはこちらです。
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■団塊ホームルーム
テーマは『東京タワー』。
この日のために町田忍さんがリサーチした
「昭和34年に完成した当時の面影」は・・・
●大食堂(1階)
→テーブルやイスはビニール張り
→ナポリタン(700円)、カレーライスは
昭和33年から変わらず、今も人気メニュー
●遊園地(ビル屋上)
→デパート屋上の遊園地が姿を消しつつある現在、貴重なスポット!
ご自宅から東京タワーが見えるという加藤登紀子さんが
日頃チェックしているのは“ライトアップ”。
近年、タイアップ企画などのよりカラフルに彩られた姿を
見せてくれますが、スタジオが盛り上がったのはライトダウン。
弘兼さんは、ある実話をきっかけに取材を敢行し「島耕作」で
ライトダウンのエピソードを描いたことがあるのだとか。
その実話とは・・・
東京タワーを目の前に臨むマンションに暮らす友人とのお酒の席で…
友人「弘兼、今東京タワーの灯を消してやる…フッ」
…その瞬間、東京タワーのライトを照らしていたライトが本当に消えた!!
今出は有名かもしれませんが、これは“深夜0時”になると
ライトが消えることを知っていた友人のいたずら。
でも、知らなければビックリしますよね。
来月には、この“古い手”を活かせる(かもしれない)機会があります。
教えてくださったのは加藤登紀子さん。
6月21日(夏至)は夜8時にライトが消えます。
加藤「男性は『僕が君のために消すよ』と(この機会を)活かしてください」
この日のお宝アイテムは、昔ながらのデザインで
去年12月に発売されたミネラルウォーター、
外側がガラスでできた東京タワーのお土産です。
この話題については町田忍さんのコラムも合わせてご覧ください。
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加藤登紀子さんが教えてくれた「愛の伝え方」は
「名言」のページでご紹介します。