2015年2月 4日
ラッシュ
(あ、パンの焼ける匂いがする。)
清掃のおじいさんがそのコインロッカーを開けたとき、その香りはした。
クロワッサンのような、バターをたくさん含んだパンがこんがり焼ける幸せな香りだ。
一口食べれば、表面がパリっと崩れて、ぱらぱらと落ち、
中の一層一層が薄く、柔らかい甘味を帯びて、じゅわっとバターの味がする。
歩くのを一瞬止めて、私は目を閉じた。
駅中の改札近く、通勤ラッシュで大勢の人が行きかう音がする。
皆何を急いでいるのだろうかと思うほど、小走りに移動する。
肩やカバンが当たっても気にするそぶりもない。
そんな中、
私の横にはグレーのコインロッカーが規則的な列をなして
しーんと、息をひそめていた。
何を言うわけでもなく、
音もなく、
動くこともなく、
静かにそこにあった。
こっそりと幸せな香りを出して。
ブルーの帽子にブルーの作業着、バケツにぞうきんを入れたおじいさんは、
無表情でその香りをふき取る。
特別入念にというわけでもなく、
ただ、すべてのロッカーと同じように。
それが彼の仕事だから。
ふわっとした香りはたちまち消え、
銀色の冷たい色をした中身が見えた。
すべてがラッシュの魔力のように。
昨晩かみしめた幸せが泡のように。
この時間は、すべてを消し去るような、そんな気がした。