オリンピック期間中、朝のニュースワイド番組「蟹瀬誠一 ネクスト!」は現地特設スタジオから生放送を敢行!国際ジャーナリストのパーソナリティ蟹瀬誠一氏に同行した番組チーフディレクター・首藤淳哉が陽気なギリシャ人に翻弄されつつも灼熱のアテネからお送りするアテネ日記です。現地の熱気を感じて下さい!
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8月29日(日)  そして祭りの終わり・・・
気がつくと肌を刺すような陽射しも和らぎ、心地よい風が吹いていました。温度計をみるとアテネに来たときよりも5℃気温が下がっていました。
 空を見上げると、アテネに来たときは欠けていた月が、きれいな満月となっていました。
 夏から秋へ、季節をまたぐほどに長かったオリンピックも、ようやく閉幕しました。

 アテネ・オリンピックは開幕と同時にドーピング(禁止薬物使用)問題で揺れました。聖火リレーの最終ランナーが予定されていたギリシアのスーパーヒーロー、陸上のケンデリス選手のドーピング疑惑は、おそらく日本のみなさんの想像以上に、こちらでは大変な騒ぎとなっていました。
 そしてもうひとつ警備の問題もありました。たとえば日本野球代表チームへの応援で沸くヘリニコ・スタジアム。そのライト後方をみると、丘のうえにパトリオット・ミサイルが配備されているのが見えます。それは、平和な野球場の光景にそぐわない異物感を放っていました。
 オリンピック最終日に、陸上男子ハンマー投げで優勝したアヌシュ(ハンガリー)がドーピング疑惑でメダルを剥奪され、室伏広治選手の繰上げ金メダルが決まりました。また、男子マラソンでは、それまでトップを走っていたバンデルレイ・デリマ選手(ブラジル)が乱入してきた男に引き倒されるという事件が起きました。「ドーピング」と「警備」。このふたつは、最後まで今回のオリンピックを象徴する問題であったと思います。 でも、素晴らしかったのは、室伏選手がメダルの裏に書かれた詩を紹介しながら堂々と記者会見を行ったこと。そして妨害にもめげず銅メダルを獲得したデリマ選手が表彰台に誇らしげに登ったこと。最後の最後に、このふたりのスポーツマンシップがオリンピックを救ってくれた気がします。

 閉会式は、スタジアムに海が再現された開会式とは打って変わって、会場の中央に「麦畑」がつくられ、ギリシアの人々が大地の恵みをどう受け取ってきたかということが歌と踊りで表現されていました。それを観ながら僕は、オリンピックを成功させるために努力していた多くのギリシア人の顔を思い出していました。
 ボランティアのみんな、バスやタクシーの運転手さん、ホテルの掃除のおばちゃん、タベルナの陽気なおじさん、カフェのきれいなお姉さん。
 彼らはギリシア神話の神々と同じようにとても人間くさく、そして愛すべき人たちでした。
もし海外旅行を計画中でまだ行き先を決めていないという人がいらしたら、ギリシアをおすすめします。この人口一千万の小国の懐は、とてつもなく広くて深いですよ! それにしても、アテネ・オリンピックでの日本の金メダル獲得数は、東京オリンピックと並んで最多タイ。銀と銅をあわせた総メダル数では過去最高を記録。ほんとうに凄い17日間でした。
大会期間中、この拙い文章をお読みくださったみなさんともそろそろお別れです。今回は競技取材はもとより、日々ネタを探して(文字通り足を棒のようにして)アテネの街を歩き回りました。実はこの場では割愛したあんなコトやこんなコト、面白かった出来事はまだまだありますが、それはまた別の機会に。でも、最後にひとことだけ言わせてください・・・。
「ミコノス島を目指すものよ、この世の天国はエリア・ビーチにあり!!」 みなさん、どうもありがとうございました!

8月28日(土)  ファンタジーの日本
オリンピックも残すところあと一日となりました。国際放送センターではボランティアたちが記念にピンバッジをもらいに来たり、一緒に写真を撮られたり、すっかり店じまいムードです。オリンピックの混雑を嫌ってヴァカンスにでていた地元の人たちもこの週末からぼちぼちアテネに戻ってき始めているようで、街は少しずつではありますが平静を取り戻しつつあります。
「君は日本人かい?日本人は好きだな。だって日本は礼儀を大切にする国なんだろう?」
日本人とみるやアテネの人たちは気軽に話しかけてきます。今回のオリンピックでの日本選手団の目ざましい活躍も影響しているのでしょう。大会がすすむとともに、話しかけられる頻度も増えてきました。でも困まってしまうことがひとつ。答えに窮する質問が多いのです。たとえば・・・。
「日本から来たのかい?ギリシアと日本は似ていると思わないか。アクロポリスの丘にはもう登った?ギリシアがグレイト・ヒストリーを持った国だということがわかっただろう。日本も歴史と伝統のある国だと思っているよ。伝統的な文化をとても大切にする国だと思ってる」
「東京は安全な街だよな。凶悪な犯罪なんてないんだろう?せいぜい違法駐車に悩まされてるくらいじゃないか?その点はアテネと同じだよ」
「日本の女性は大好きだね。朝起きるとちゃんとシャツが洗濯されていてアイロンがかかってる。日本の女性にはいい思い出しかないね。もう40年以上前の話だけど」
「日本は平和な国だから好き!アメリカ?嫌い。アメリカは危険な国よ」
「日本では野球がメジャーなスポーツなのか・・・。野球ってあれだろ?クリケットみたいなスポーツだろ?」
どうですか?このような質問にあなたならどう答えますか?なかには素朴な誤解もありますが、総じていえるのは、ギリシアの人々は日本に対してある一定のイメージを抱いているということ。そしてそのイメージなかの日本はとても美しいものです。オリンピック開幕前の日本では、工事の遅れなど、ギリシアにたいして好意的な報道がみられなかったことを思うと、ちょっと胸が痛みます。

ところで、僕らが泊まっているホテルのフロントマン、ジョルジは、取材を終えてホテルに戻ってきた僕が部屋番号を言おうとすると、それを制してルームキーを差し出すのですが、毎回ルームナンバーが違うのです。他のアジア人の部屋のキーを差し出すので「違うよ。」と言うと、また間違ったキーを出し「どう?」という目をします。いい加減うんざりして「○○号室!」と言うと、「そうだ!あんたは日本人だったよね!」と手を叩いて大喜びします。
はじめはアジア人の顔は区別がつかないのかなと思っていたのですが、日本人選手が活躍した時には素直に握手を求めてきたりもするので、どうやら遊びでやっているらしいことがわかりました。
ホテルの玄関からこっそり中をのぞくと、いつものようにジョルジが待ち構えているのが見えます。面倒くさいけれど、日本人に対するイメージを損なわないためにも(?)今夜もまた彼の遊びにつき合うことにしましょう。

8月27日(金) 宵っ張りアテネ人を尾行せよ!!
11:00PM シンタグマ広場
 なぜアテネの人々は宵っ張りなのか?彼らはなにが楽しくて夜になると街に繰り出してくるのか?アテネに来てからというもの最大の謎である。
昼間は暑いから?残念ながらそれは必要条件ではあっても十分条件ではない。たしかに昼の陽射しは強い。しかし夜だって気温が30℃を超えることはざらにある。それだったらクーラーのきいた部屋で涼んでいるほうがよっぽど過ごしやすいはずだ。にもかかわらず街に繰り出してくるからには、きっとなにか理由があるはずだ。僕はシンタグマ広場から一人の若者を尾行することにした。彼はおそらく20代前半。Tシャツの左腕からタトゥーがのぞいている。ギリシア語の名前を考えるのは面倒くさいので、便宜上、彼のことを「太郎」と呼ぶことにする。
11:15PM エルムー通り 
 「太郎」は大道芸を見ている。おっさんがラジカセのスイッチを入れて音楽をかけ、それにあわせて歌い始めた。これは・・・・・芸なのか?あっ!?「太郎」も口ずさんでいる!手拍子も!?なんだかわからないけれどギリシア人にとってはお馴染みの音楽なんだろう。
11:30PM ミトロポレオス通り 
 「太郎」は大道芸を見ている・・・。セクシーな女性がショールをなびかせながらベリーダンスを踊っている。おい「太郎」!ニヤニヤすんじゃない!!
12:00AM エオル通り 
「太郎」は大道芸を見ている・・・・・・。「太郎」もしかしておまえは大道芸人になりたいのか?こんどはなんだ?なにこれ!?マッチョなじいさんが裸でポーズをとっているじゃないか!?これは・・・・芸なのか?でも「太郎」、目を丸くするおまえの気持ちはわかる。これには僕も驚いたよ。
12:30AM モナスティラキ広場
「太郎」は広場に座り込み知り合いらしき若者たちと話を始める。カフェで観察することにする。
1:30AM モナスティラキ広場
「太郎」まだ話すのか?アコーディオン奏者やらハーモニカ吹きやら次々来てうるさいんだけど。だってお金払うまでどかないんだもん。それにしても「太郎」、酒も飲まずによくそんなに話せるね。
2:00AM モナスティラキ広場
「太郎」〜。「太郎」ったら〜ん。
2:30AM アドリアヌ通り
「太郎」!!やっと移動だねっ!しかも女の子と一緒じゃないか!どこに行くのかな〜?なんだか人気の少ないほうへ行ってないか?素晴らしい!若いっていいよね!しっかり見届けてあげるよ!
3:00AM ティシオ駅前広場
「太郎」??まだ話をしているけど・・・。右手を見てごらん。アクロポリスの丘の暗がりがあるよ?
「太郎」??
3:30AM ティシオ駅前広場
おい!マジ!?「アディオ(ばいばい)」って何よ、「太郎」帰っちゃうの?・・・「太郎」???
注)尾行対象の選択を誤ったらしく、結局なにが楽しくて夜遊びをしているのかわかりませんでした・・・。

8月26日(木) 遺跡の街
 世界各国の放送局が集まった国際放送センター。外観はなかなかきれいなんですが、内部は鉄骨がむきだしになった巨大な倉庫のようなものです。扉がみっつもある広い通路の両側にぽつりぽつりとソファーが置いてあるのですが、そこには死屍累々と疲れ果てたスタッフたちが横たわっています。そんな日本人スタッフのひとりに外国メディアがマイクを向けている光景に出くわしました。たぶん「オリンピックも終盤になると疲れますか?」みたいなことを聞かれたのだと思いますが、泥のように眠っていたところをいきなり揺り起こされた彼は、目の前につきつけられたマイクに仰天し(というか状況がよく飲み込めなかったんでしょうね)、「オ〜アイムソ〜リ〜」と涙目で繰り返していました・・・。あの映像は使われたんでしょうか。

 さて、アテネの街を歩き回っているとよく見かけるのが工事現場。それもただの工事現場ではありません。遺跡の発掘現場です。ビルとビルのあいだにたとえばアパートメントでも建てようとする。すると基礎工事を始めた途端に遺跡が出ててきてしまい工事がストップしてしまう。こうなると工事の種類がまったく変わってしまいます。それまでブルドーザーで土を掘り返していたのが、スコップでの手作業になります。アテネの人たちはそんな状況に慣れっこというのもあるんでしょうが、いたってのん気。工事現場ではアルバニア人労働者が(ギリシアの外国人労働者はアルバニア系が多い)いつ終わるともしれない作業をのんびりと続けています。

 遺跡は古代文明の栄光の歴史をいまに伝えるものですから、ギリシアに来た当初は、どこか畏れをなすというか、遺跡の前にひれ伏してしまうようなところがあったんですが、慣れというものはおそろしいものですね。最近では(ガイドブックを見ながら)「えっ!?この遺跡、出来たの西暦200年くらい?だめだな〜紀元前じゃなきゃ。まだまだ新しすぎるね」といったような台詞が飛び交っております。日本ではたしか卑弥呼が魏に使者を送ったのが西暦239年。邪馬台国の時代ですから、それを考えるとなんとも罰当たりな会話です。
 でもアテネの人たちこそ、もっと気楽な感じで遺跡とつきあっています。柱によりかかってキスをする恋人たち(おい君たち!それは紀元前5世紀の柱ですぞ!)、大理石のベンチで昼寝する男性(おじさん、おじさん、知ってる?これ紀元前2世紀の遺跡なんだけど・・・)。日本だったら柵やロープにさえぎられて遠くから拝むような遺跡が生活のなかに溶け込んでいます。
 そんな遺跡を使って開かれる有名なイベントが夏のアテネ・フェスティバル。5月から9月まで開催されるアテネ・フェスティバルの会場はアクロポリスの丘にあるへロド・アティクス音楽堂です。連日のように催されるオペラやギリシア悲劇、クラシックコンサートなど。普段は入場不可のこの古代劇場はアテネ・フェスティバルのあいだだけ開放されます。
 ライトアップされたパルテノン神殿が目の前に迫るなか、すり鉢状になった古代劇場の底では、古代のギリシア悲劇が演じられています。それをリラックスして眺めるアテネの人々・・・。
そんな光景を見ると、「やっぱギリシアってすごい国だな」と思ってしまうのです。

8月25日(水)  アテネ流行通信
 あっちを向いても「へそ」、こっちを向いても「へそ」、右からも左からも前からも後ろからも「へそ」がこっちに迫ってくる〜。
 陽射しの強いアテネでの典型的なファッションは、タンクトップにローライズのパンツ(若い女性だけではありません。妙齢の女性も同じ格好をしています)。からだにぴったりと張り付いた丈の短いタンクトップに、渋谷あたりでも滅多に見ないというくらいにギリギリ下のほうまで下がったパンツ。へそをはさんで上下のお肌の露出面積は、日本の若い女性と比べるとプラス10センチ(もちろん目測。ホントは測ってみたいけど)くらいではないかと推察いたします。

 へナ・タトゥーも流行っています(ご存知ないかたのために説明いたしますと、へナは西南アジアから北アフリカにかけて広く自生している植物で、葉を粉にして染料とします。ナチュラルなへナは茶色ですが、合成染料をまぜた黒色もあります。へナで描いたタトゥーは数週間で自然に消えます)。タトゥーの絵柄で圧倒的に多いのはギリシア国旗。肩や腰に描くのが流行っているようです。

 観光客であふれるシンタグマやプラカから北へ向かうと各国の大使館が集まるエリアがあります。その背後にあるのがコロナキ。モデルやタレントも多く住むというお洒落な街で、いってみればアテネの代官山です。このコロナキにあるレストランで流行っているのが「新ギリシア料理」です。
 「新ギリシア料理」というのは伝統的なギリシア料理をいま風にアレンジしたもので、カップルや女の子たちで賑わっています。新鮮なハーブを多用して盛りつけもそれなりにお洒落なんですが、いかんせん量が多いですね(ギリシアでは料理は超大盛りで出てくるところが多いんです)。

 日本のすしも流行っています。米は野菜の一種ですから、メニューでは前菜やサラダのところに「スシ・ロール」と書いてあることが多いです。回転すしもありますが、僕が知るかぎり経営者はほとんどが中国人です。驚くのは一皿700円近くすること!100円皿や200円皿は存在しません。
味がどうこうというよりも、みんな日本への憧れに対してお金を払っている感じですね。

 このように、アテネにもそれなりの流行はあります。でも街を歩いていて感じるのは、それほど東京との違いが感じられないこと。ブランドだって日本にあるものと同じだし、流行っている洋楽も日本のチャートと変わりありません。もしアテネに住んだとして、情報の面で著しく日本と落差を感じるということはおそらくないでしょう。グローバリズムのおかげなのかもしれないけれど、街が個性を失っていくのはちょっと辛い・・・そんなことを考えながら狭い路地のすきまから空を見上げると、アクロポリスの丘にパルテノン神殿が堂々とそびえたっているのが見えました。
どんなに情報のスピードが速くなっても、この光景があるかぎり、アテネがアテネらしさを失うことはないでしょう。

8月24日(火)  倦怠のアテネ
週末敢行したミコノス島弾丸ツアーの反響が予想以上に大きく、国際放送センター内ではミコノス島行きがブームとなっています。彼らは先駆者(?)であるわれわれの貴重な情報(?)を踏み台にして、憧れのヌーディスト・ビーチ探索のための時間と体力を温存するため、念入りに一泊二日のスケジュールを組んでおります。早い話が僕らは反面教師にされているわけです。もちろんその間の彼らの仕事はお休み。許せませんな。
 「じゃあ行ってくるよ。おまえの失敗は繰り返さないからさ。ゴー・ゴー・パラダイス!!」
 そんな許せない台詞を吐いて嬉々として旅立った○○くんや○○くん!僕はこれから君たちの会社に匿名のタレコミ電話をかけます。黒光りした顔して戻ってきても君たちの机はないと思うよ。

 でも彼らの気持ちもわからなくはありません。オリンピックも折り返し地点を越えて、そこかしこに倦怠感が漂うようになってきました。特に日本は開幕以来連日のメダル・ラッシュ。前半が凄すぎただけに、メダルが途切れると同時になにかメディアの側の緊張も切れてしまったような、そんな印象を受けます。「島にでも行って気分を変えたい」という彼らの思いも理解できなくはないです。

 最近驚いたことのひとつに、汗のにおいが変わったこと(!)があります。炎天下のなか取材をしていると、当然のごとく服は汗でびっしょりになります。その汗のにおいが日本いるときと全然違うのです!汗だけではありません。体からでてくるあんなモノやこんなモノのにおいもすっかり変わってしまいました。
 「そりゃ当たり前だよ。水も食べ物も全部違うんだから」というのが蟹瀬さんの意見。そうかもしれません。トマトやピーマンにフェタチーズを混ぜたグリーク・サラダ。これを僕らはいまや「ギリシアのおしんこ」と呼びながら毎日食っています。食べないと違和感をおぼえるくらい。
ギリシアの食生活や気候に慣れるとともに、細胞の組成もすっかり変わってしまったのでしょうか。きゅうに毎日の生活が日常性を帯びてきたのは、僕らが徐々にギリシア人になってきた証なのかもしれません・・・?

バックナンバー
8月19日〜8月23日(日本メダルラッシュ!)
8月14日〜8月18日(開会から前半まで)
8月9日〜8月13日(アテネ到着から開会式まで)