11月18日放送
『なかじましんや 土曜の穴』のゲストは
コラムニストの
堀井憲一郎さんが
今年8月5日に続いて再登場!
♪♪ ポッドキャストで聴く ♪♪
最も新しい著書として先月
『愛と狂瀾のメリークリスマス』が
発売されたばかりの堀井さん。
この日の放送では、なぜ日本人は
クリスマスを特別行事と見なして
大騒ぎするのか――
堀井さんがずんずん調べてわかった
意外な事実を教えていただきました。
■ 日露戦争後、日本人も祝う ■
クリスマスは、明治維新後には
キリスト教徒の行事として
日本に入っていましたが、
明治39年(1906年)前後から
普通の人も祝うようになったことが
当時の新聞記事でわかるそうです。
(堀井)「1905年に日露戦争に勝って
『ヨーロッパと対等かましても
ええんちゃうか?』という
気分になって
『ほんならクリスマス、
いってみまひょうか』
というのが
当時の空気ではないかと」
言葉にはしないまでも
そうした考えがあったのではないかと
堀井さんは推測。
1910年頃には帝国ホテルで行われた
"クリスマスお楽しみ会"という
宴会(内容は日本の祭り)の様子を
当時の新聞で伝えています。
■ クリスマスが休日だった ■
大正15年(1926年)12月25日の
大正天皇崩御の後、日本は
昭和2年(1927年)から
昭和22年(1947年)まで「12月25日」を
「大正天皇祭」として休日としました。
この頃から、クリスマス・イブには
カフェ、ダンスホール、バー、
キャバレーなどで、
ジャズをバックに踊りまくる人が急増し
大人が騒ぎ出すように。
(中島)「イブは盛り上がりますね。
『明日、休みなんや』と」
■ クリスマスが休日だった ■
高度経済成長期になると
クリスマスは
家族のもの・子どものものに――。
そしてバブル時代には
クリスマス・イブを男女で過ごす
恋人のものに。
1983年の雑誌『an an』の
「クリスマス特集」では
ホテルで朝を迎えたい――
という記事が登場。
女性誌に遅れること4年、
1987年からは男性誌でも
クリスマスは女の子とデートするもの
と特集されるようになりました。
(堀井)「ここから世間認知の
"男女のクリスマス"になって
今年で30年です」
(中島)「クリスマスだけ見ても日本人の
調子の良さを感じますね」
現代の日本人のキリスト教に対する
気持ちや距離感はどうなのでしょうか?
(堀井)「突き詰めた部分は
考えていない。
秀吉、家康、明治政府が
キリスト教徒はどうするか考え
形をつくり、その形に
乗ってるままなんやな、と。
ハッキリ言って
秀吉の『バテレン追放令』から
気分はあまり
変わってないと思いますよ。
キリスト教に対する距離感は」
■ 堀井憲一郎さんの最新著書 ■
■『愛と狂瀾のメリークリスマス
なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』
(講談社現代新書/840円+税/2017年10月発売)
詳しくは こちら
前回 8月5日のご出演の模様は こちら
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