なかじましんや 土曜の穴

毎週 土曜日 11:00〜13:00
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ゲスト・車 浮代さん

 この日のゲストは
 時代小説家・江戸料理研究家の
 車 浮代さん。

 先月、最新の著書
 『江戸の食卓に学ぶ
  ~江戸庶民の"美味しすぎる"知恵~

  (ワニブックスプラス新書/900円+税)
 発売されたばかりの車 浮代さんをお招きして
 江戸時代の料理について伺いました。

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 テーマは「江戸料理」ですが
 車 浮代さんは大阪(上方)のご出身。
 27歳の時に、浮世絵に魅了されて
 江戸文化の研究を始められました。
 6年前(2009年)からは
 江戸料理に力を入れ、
 これまで文献をもとに600点もの料理を再現。
 江戸料理に関する著書は
 『江戸の食卓に学ぶ』のほかにも多数出版されています。

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  濃口醤油

 「江戸料理」といわれても
 ピンとこない中島さん、小尾ちゃん
 それもそのはず
 「全国区になってしまったために
  (江戸料理の)言葉が残っていない
  という感じなんです」


 「濃口醤油」を使い始めたことが
 「江戸料理」の特徴――。

 野田や銚子などで
 醤油の生産が発展したのも江戸時代。

 そして、海水(ミネラル分)が含まれる
 江戸の水の
 "昆布だしは出にくいが
  かつおだしは出る"――という特徴が
 濃口醤油と相性が抜群でした。

(中島)「江戸の水では
     "昆布だし"出にくいの?!」


( 車 )「うまく出にくいんですよ。
     それで、かつおだしが
     主流だったんですね」


(中島)「(上方は)昆布のだしが出せるから
     薄口でよかった、ということなんですね」


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  塩分・白米・男は五合!

 江戸料理のそのほかの特長――

 ◆塩辛いものが好まれた

 建築作業のために全国から集まった人や
 武士など、汗をかくことが多い人には
 塩辛いものが好まれました。

 ◆意外?!白米も食べられた

 年貢米が集まる江戸の町では
 白米が食べやすい環境だったそうで、
 白米を食べたいがために
 江戸にやってくる人も多かったのだとか。

 ◆成人男性は一日五合

 日本の歴史の中でも
 平均身長が低かったという
 江戸時代でありながら、
 成人男性は
 一日五合のご飯を食べていたそうです。

(中島)「それをエネルギーに変えてたんやな」

  一日3食が定着

 江戸中期までは一日2食が普通でしたが、
 江戸の大半が焼け野原となり
 江戸城も焼失した
 「明暦の大火」(1657年)の後で
 町の再建に各地から集まった職人たちは
 一日2食ではお腹がもたず、
 作業現場の周囲に屋台が出現。

 また、人々が夜も活動するようになって
 1食増え「一日3食」が定着しました。

  朝に炊く江戸、昼に炊く上方

( 車 )「江戸は朝、3食分炊くんです」

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 朝に一日の3食分のご飯を炊き、
 朝は"あったか"
 昼・夜は冷や飯だった江戸に対し、
 上方は、昼にご飯を炊き
 昼に"あったか"
 夜・翌朝に冷や飯を食べていたそうです。

(中島)「それ、大きい違いやね。
     朝は温かいご飯やろ、やっぱり」


  料理番付

 フランスのミシュランガイドが誕生する
 100年前に、
 江戸の町では600の店が掲載された
 「料理屋番付」が発表されているそうです。

( 車 )「江戸っ子はいろんなものを
     "番付"にするのが好きなんで」


(中島)「今も(日本人は)
     "ランキング"好きやね」

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 ◆『江戸の倹約おかず番付』

 相撲の「東・西」のように
 【精進型】(野菜・豆腐など)
 【魚介型】(魚介類) に分かれます。

 最高位・大関は・・・

 【精進型』・・・ 八杯豆腐

( 車 )「出汁豆腐のような感覚です」

 【魚介型】・・・ 目刺しいわし

( 車 )「何と言ってもナンバーワンです」

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  車 浮代さんの最新情報

 『江戸の食卓に学ぶ ~江戸庶民の"美味しすぎる"知恵~
  (ワニブックスPLUS新書/900円+税/2015年6月発売)
  詳しくは こちら

 車 浮代さんの最新情報は
 車浮代オフィシャルサイトをご覧ください。

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